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ビジネスパーソンの街歩き学入門
藤巻幸夫 (著)
ヴィレッジブックス (2010/12/10) |
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<要旨>
-「そんなに忙しいのに、なんで、色んな店や人を知っているんですか」 そう聞かれることがよくある。僕はこう答える。「街を歩いているからです」
-街を歩くことで発見し、感動し、そこで出会ったことを通して、僕の人生は変わった。今の僕があるのは、街歩きのおかげだ。
-街歩きのいいところは、自分で好きなように気の向くまま、風の吹くままに歩けることだ。別に無理をしなくてもいい。でも、ちょっとだけ「気にして」みながら歩くだけで、探し続けていた「好きなこと」が見つかったりする。
-僕が美術館を訪れる一番の目的は、感性を磨くためだ。重要なのは「ふらっと行く」こと。今、どんな展覧会が開催されているのかなんて調べずに、風任せで足を運んだほうが、自分の知らなかった世界との出会いや発見があるものだ。
-ナショナルチェーンではない個人経営のセレクトショップの個性や味が、自分の感性を磨いてくれる。
-「いい店の見分け方」で言えば、共通点が2つある。「面白い名物店長がいること」と、「裏通りにある」ということだ。
-変わらないことより、変わり続けることのほうが大切なこともある。それは生き方も同じ。賑わう街と寂れてしまった街。両方を歩いてみると、時代が求めているものは何か、そして、自分には何が・・・?と考えさせられる。
-「今日はバッグ」とか、「今日は靴」と決めて街を歩くことがある。その日に決めたアイテムを、街行く人がどんなものを持っているのかを気にしながら歩くのだ。アイテムごとに気にしながら歩くと、面白い発見がある。
-いつもは当たり前のように通り過ぎている近所の古びた店の、ほこりをかぶっているような棚にも発見はある。古びた店だからこその面白い発見がある。その街に溶け込んでいるような風情のある店や、店の外観には金をかけていなくても、よく見ると商品には金をかけているところは、「当たり」が多い。
-30歳でバーニーズのバイヤーになり、ニューヨークで修行していた頃、「クラシックなものを見ろ」と言われ続けた。それまでの僕は、クラシックとは「古いもの」だと思っていたが、バーニーズでは「クラシックとは“いいもの”だ」と教えられた。「今の時代も変わらず残っているのだから、いいものだ」というのだ。それから。「本当にいいもの」の本質を求めて、クラシックなものを意識して目にするようになった。
-人生は「歩む」という。街を歩くことは、人生を歩くことだ。意識して歩いた分だけ道は広がり、世界も広がる。歩いた分だけクリエイティブは磨かれ、仕事の質も高まる。
-だまされたと思って、歩いてみてほしい。人生はけっこう捨てたもんじゃないことに気づくはずだ。 |
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大和ごころ入門
村上正邦 (著)
佐藤優 (著)
扶桑社 (2008/4/2) |
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<要旨>
-日本を改革する処方箋はひとつしかない。日本に内在する「日本の善」の力によって、現下日本にあらわれている悪を排除するのである。外来思想の知識をいくら身につけても、それだけでは日本国家を危機から救い出すことはできない。過去の日本人の英知から虚心坦懐に学ぶことが、現在、なによりも必要とされているのである。
-近代になって我々はなんでも、頭の中で理屈をこねまわせばいいと考えるようになった。知識を得れば、何も現地に行く必要はないと考えるようになる・・・。とくに最近の若者にその傾向が強い。しかし、それだけでは捕らえられないことが絶対にある。保守の思想の真髄のひとつに、そういうことに価値を見出すか、見出さないかということがあると思う。
-いま非常に危険に思うのは、右翼、保守陣営の中に入っている極端な近代主義です。例えば「美しい」という言葉を聞くと、「美しい」ということによって心理と繋がるというのは、実は哲学の世界からいうと、ドイツ古典哲学のシェリングやヘーゲルです。シェリングは理屈で物事を組み立てるということはもう限界に来ており、美しさというのは、すっと触った瞬間に本質がわかるんだというところに至った。それを知ることができるのは天才である。美しいものと神は同じであると考えるようになった。これは、美しいというものはひとつしかないという考え方に繋がりやすい。実はこれはもの凄く近代主義的な発想なんです。
-我が国の場合は近代国家ではなく、その中核を担っているのは、農村を中心にしてみんなの共同体があるところの<社稷>でしょう。社稷というのは日本の古い国家概念で、もともとは中国の「礼記」にある言葉です。建国のときに天子、諸侯が壇を設けて祭った土地の神(社)と五穀(米・麦・粟・豆・黍または稗)の神(稷)のことです。
-人間に驕りがあるから共生論なんていう考えが出てくる。山には山の神があり、海には海の神がある。そういう目に見えない自然の神々によって生かされている。生かされているということと、共存とは違う。共に生きていくということとは、やっぱり意味が本当に違う。共存という言葉には「人間」が主体に見えてくる。この言葉自体に人間の驕りが感じられる。
-川でも海でも、三神がいらっしゃる。一番川面に近いところの神が上筒の神。そして中筒の神。底筒の神とある。一番深いところが底筒の神で、久遠なる流れがある。我々はこの底筒の神によって守られている。雨が降れば、風が吹けば、上筒の一番上の表面は川の表面は波立ったり、荒れ狂ったりして流れていくけれど、いくら表が荒れ狂おうと凍りつこうと、永遠に悠々と流れている底筒というものがある。これがやっぱり古代から我々が教えられてきているものじゃないのか。これを学ぶべきじゃないの?と思う。
-日本の文化というのは、すべて中心がある。だから、国体もそうです。社会もそうです。中心をどこに置くか。それで国の原点が見えてくる。これが円環の原理なのです。円環には中心があるからバランスが取れる。心理は普遍です。国家は、皇室を中心にする。家庭には父親という中心。企業にはやっぱり社長という中心。中小企業はオヤジさんという中心。その小さな小さなさまざまな円から、いろんな大きさの円が、それこそ無限につくられている。そしてそれを中心として束ねているのが、皇室。私はそれが日本の国体じゃないのかなと思います。
-縁をきちんと大切にする。その縁に人知を超えたものがあると思う。人間は実力とか努力だけで人生の目標を達成することはできません。必ず運があります。これも縁です。人間の限界を知ることが縁を大切にすることだと思う。
-国家がギリギリのところに来た場合は、その歴史っていうのが、どっかで神話との接続を必要としてくると思う。
-「義を見てせざるは勇なきなり」と言う。でもいまの政治家に「勇」はなくなり、それ以前に「義」もなくなった。まさに「義」が枯渇している時代だと思う。そして自らの命を国家へ、国民へ捧げようという犠牲の精神、「犠」まで失ってしまっている。
-この状況を嘆いているだけでは何も始まらない。何が結局大事かというと、歴史に学ぶということ。そして日本の国体をしっかり見つめなおすということ。これが求められている。 |
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プラントハンター
命を懸けて花を追う
西畠清順 (著)
徳間書店 (2011/3/26) |
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<要旨>
- 日本各地のみならず、世界各国あらゆるところを駆けずり回り、依頼のあった植物をお客さんに必ず届ける。
- そもそもプラントハンターとは、17世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパで活躍した人たちのこと。王族や貴族のために世界中の珍しい植物を求めて冒険をし、花の苗や種を持ち帰っていました。初めは食料や香料などの有用植物でしたが、次第に観賞用植物へとハンティングの対象が変化してきたようです。その行動範囲はアジア、アフリカ、中南米、カリブ海にわたり、ペリーが黒船で来日したときにも2名のプラントハンターが同船して、日本で植物採集をして帰ったとも言われています。
- プラントハンターの使命とは、植物の力を借りて人の心を豊かにすることである。
- 貴重な植物を守るため、一本たりとも木を切らせない、という保護のしかたも理解はできます。しかし、植物を守るためにあえて人の手でハンティングし、育てるというやり方もあるのではないか。正しい知識と経験に裏打ちされたプラントハンターこそ、自然のことを理解し守ることができる存在なのかもしれません。
- ルールを守って安全に植物を手に入れるのがプロのプラントハンターである。
- 「その花を愛し、その根を想う」
美しいものの裏側には、必ずそれを支える裏方がいる。
- 学者と同様、もしくはそれ以上の知識。どんな険しい道でも登っていくアスリートのような体力。冒険家や探検家が持っている燃えるような好奇心。時代にリンクした花を見抜く感覚。これをすべて持っている人こそ、優秀なプラントハンターだと思っています。とくに私が重要だと思っているのが、時代に敏感なセンスです。一本の花に、自分のメッセージを込める。一本の花で、人の意識を変える。時代を読みながら植物を通して世の中に何かを発信してこそ、プロのプラントハンターだと私は考えています。
- もともとプロハンターとは、ヨーロッパの貴族のために危険を冒してまでも海を越えて植物を探しに行ったとされています。しかし私は、彼らは誰かのために植物を探していたのではなく、本当は自分のために行っていたのだと思っています。もちろん自分の家族を養うため、仕事として行っていた部分は大きい。しかし彼らが命を懸けて植物を追い求めていたもう一つの隠された理由は、最高の花を見つけたその瞬間の、心の底から湧きあがる会館に取りつかれてしまったからではないでしょうか。
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日本人はなぜ日本のことを知らないのか
竹田恒泰 (著)
PHP研究所 (2011/9/16) |
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<要旨>
-世界には190を超える国が存在するが、その中で世界最古の国が日本であることはあまり知られていない。このことは、戦前までは誰もが共有していたことだが、戦後は国民の記憶の中から抹消されてしまった。
-日本は連合国から占領を受けて以来、日本に誇りを持てるような教育を禁止され、今に至る。
-日本の中学の歴史教科書は、戦後体制の産物であり、その背景には、GHQの作成した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(War Guilt
Information Program)によって植えつけられた敗戦コンプレックスがある。日本人が日本に誇りを持つことは、固く禁止されてきたのである。
-文字のない時代に起きた建国を説明するには、神話をもって語る以外に方法はない。
-世界的な歴史学者として知られるアーノルド・トィンビーは「12、3歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と述べた。
-日本における神話の中心を担うのは「古事記」「日本書紀」である。そもそも記紀は、初代天皇の即位で国が成立したことの経緯を記し、建国の精神を後世に伝えていくために約1300年前に完成した、国家が編纂したわが国最古の歴史書である。したがって、記紀を封印することは、おのずと、建国の歴史を風化させ、建国の精神を失わせることを意味する。
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