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週刊文春 1995年1月5日号
CIAの存在を揺るがす
史上最大の二重スパイ A.エイムズの告白
CIAもFBIも、「史上最大の二重スパイ」エイムズが怪しいと気づいていたという。それがなぜ九年間も表沙汰にならなかったのか。その大きな原因は、CIAの“身内”に対する甘さにあった。つまりCIAはエイムズ以上にお粗末な存在だったというのである。
一九九四年二月、FBIによって摘発されたCIA史上最大のスパイ事件は、その後の調査の進展に従い、単なる「二重スパイ狩り」に留まらず、CIAの存在そのものを揺るがす事態を巻き起こしつつある。
CIAの元対ソ防諜部長オルドリッチ・エイムズは、なぜ九年間にもわたり、発覚することなくKGB(現SVR)に情報を流し続けることができたのか?
その大きな原因が、CIA内部の馴れ合い、及びCIAとFBIの確執にあったことが、次第に明らかになってきたからだ。
上下両院の情報監視委員会の要請によって、CIAによるエイムズ事件の調査報告書が提出されたのは、一九月下旬。四百五十ぺ-ジにもなる報告書は、エイムズ自身への事情聴取、関係者三百人以上へのインタビュー、四万五千ぺージにのぱる証拠文書に基づき作成された。
筆者の入手した、このCIA報告書を基とした上下両院の工イムズ事件報告書、FBIの捜査令状なとによると、エィムズがKGBに流した情報による被害は、ハッキリしているものだけでもかなりにのぱる。
例えぱ、CIAのソ連国内における情報源十人が殺され、他に逮捕者も出た。
またエイムズ自身、百件以上のCIA、FBIの作戦を危険にさらし、国防関係から麻薬密売ルートに至る何千という機密文書をKGBに渡したことを認めている。
これらの報告書によれぱ、エイムズが二重スパイとなったのは、驚くぺきことに、自ら求めてめことだった。目的は、カネだった。.
八三年に前妻と離婚し、翌年メキシコのコロンビア大使館に勤めていたロザリオと再婚したことで、エイムズの財政状態は危機に瀕していた。前妻に対する慰謝料、残されたローン、再婚で増えた支出…。かさむ一方の借金に、当時エイムズは本当に破産するのではないかと思い込んだという。
一方、エイムズ自身にも問題があった。彼は慢性的なアルコール依存症であり、しかもそれは既にCIA内部で報告されていたのだ。メキシコでは米大使館のレセプションでキューバ外交官と大噴嘩したり、泥酔して交通事故を起こしたこともあった。
しかし、これらはCIA内部の、仲間意識によって問題とならず、エイムズはソ連・東欧部門に配転され、世界中のソ連の情報要員に関するCIAのすべての活動・作戦にアクセスできることとなったのである。
多額の借金を背負い、アルコール依存症でもあるエイムズを、CIAは最高機密を知りえる立場に置き続けたのだ。
五万ドルの報酬を要求した
報告書の中で、エイムズ自身はこう言っている。
<いま振り返ってみると、思い込み過ぎだったんですが、経済的にかなりプレッシャーを感じていたんです。ワシントンで過ごした時に買った家具などで、借金がかさんでいました。そこに離婚で、何もかもなくなってしまったんです。すでにロザリオとも暮らし始めていました。決して賛沢はしていませんでしたが、給料だけでやっていくことができなくて、逸脱したのです>
八五年四月、エイムズはついに、カネと引き換えにKGBに情報を流すことを決めた。
まず、偽名を用いてソ連の情報担当者に接触を始め、その仲介でソ連大使館の軍備管理担当の外交官、チュヴァーキンと会った。ワシントンのソ連大使館に入ったエイムズは、チュヴァーキンに一通の封筒を手渡した。
封筒の中身はCIAに接触を図ってきたロシア人のリストだった。実際は、それらはすぺてKGBの命令によってCIAに近づいてきた人物であり、ソ連側にとって価値ある情報ではない。
しかしエイムズは、敢えてそうした情報を渡すことで、自分がその種の情報を入手できる立場にいることを相手に信用させようとしたのである。
更にこの時エイムズは、自分の名前が載っている部分を隠したCIAのソ連東欧担当部の名簿のコビー、ソ連側要員と接触する際に名乗っていた変名のリストも持参していた。
そして、五万ドルの報醐を要求したのだった。
一カ月後、エイムズは再びソ連大使館の一室に招かれ、メモを受け取った。そこには五万ドル支払いへの同意、チュヴーキンが今後“エイムズの担当”となることが記されていた。その二日後、エイムズはチュヴァーキンから五万ドルのキャッシュを受け取っている。
このカネでエイムズは借金を返済できた。エイムズは、これを「一回だけのゲーム」と思っていた。ところが、実際はそうならなかった。以後もエイムズとKGBの関係は続く。その動機は本人にさえハッキリしていない。
<今でも、何が私を次の段階に進めたのか分かりません。自分が犯したことの大きさ、もう戻れない一線を越えてしまったという実感がありました。それが大きな要素だったと恩います。もちろん、いつでも必要なだけカネが手に入る、という確信もありました>
エイムズは、最初の五万ドルを受け取ってから一カ月後に、ソ連で活動している米国側の情報源の最も優秀な十人を示す資料をソ連側に渡し、CIAのソ連での活動に大打撃を与えた。情報源が次々と葬り去られたのである。CIA要員の証言によれば、一回の会合でKGBに流れた機密情報量としては、これはまさに前代未聞だった。
報告書を読むと、CIAの情報管理が“身内”に対しては驚くほど甘いことが分かる。
エイムズは何のチェックも受けずに、二、三キロもの機密文書をビニール袋や買い物袋に入れ、CIA本部から持ち出していたのだ。世界に名だたるCIAの情報管理は、まさに杜撰だったとしかいいようがない。
せっせと機密文書を持ち出すことで、エイムズは報酬としてKGBから二万〜五万ドル単位で現金を受け取り続けた。KGBはエイムズに「まだ二百万ドルの用意がある」と漏らしていたという。
エイムズは受け取った現金を一万ドル未満に分け、自分と妻の名義で銀行に預けた。一万ドル以上になると、銀行はIRS(米国国税庁)へ報告しなくてはならないからだ。
次第にエイムズ夫妻の生活ぷりは給与以上のものとなっていった。当然周囲から不思議がられたが、エイムズは妻が裕福な家庭の出身であり、財産の相続があったと説明していた。
エイムズが頻繁にKGB要員と接触していることは、FBIもCIAも気づいていた。しかしCIAは、それをエイムズの通常任務の一環と思い込み、規定通りにすぺての接触の報告がなくても、ただ「遅れているだけだろう」と考えていた。
FBIもエイムズのこうした怠慢に目を光らせていたが、CIAとの徴妙な聚張関係の中で、情報を交換し、疑問をぶつけ合うことはなかった。
九四年二月に事件が発覚した当初は、エイムズはCIAで定期的に行われるポリグラフ(嘘発見器〉検査をくぐり抜けた、と言われていたが、実はそうではなかった。エイムズは検査に引っかかっていたのである。
報告書によると、KGBに情報を流し始めて約一牢後の八六年のエイムズの検査記録には、「外国の情報源との承認されていない接触」について、嘘をついている、と記録されている。
.ところがCIAの検査官は、エイムズを“合格”させていた。この段階で何らかの処置を行っていれぱ、被害はまだ押さえられたかもしれなかった。
八九年、エイムズがローマ勤務から帰国した際、同僚がエイムズの分不相応な生活ぷりを指摘、報告している。その同僚はエイムズの妻の実家が裕福ではないこと、ワシントン郊外のアーリントンに高価な住宅を現金で購入したこと、頻繁に殺害される工-ジェントに関する惰報に、エイムズがアクセスできたことを指摘した。
これにより、ようやく正式にエイムズに対する調査が開始された。ところがCIAは、エイムズに勘づかれるのを恐れ、再び定例のポリグラフ検査まで待つことにしたのである。
九一年に行われたポリグラフ検査で「外国の情報機関のために働いているか」という問いに対して、エイムズはまたしても嘘をついていることが発見された。にもかかわらず、再ぴCIA検査官は検査結果を「不完全」として片づけてしまったのだ。
こうした経緯から、両院の情報監視委員会は、エイムズのスパイ活動を数年前に発見し、阻止することが可能だったと、CIAを痛烈に非難している。
とはいえ、遅まきながらもエイムズは次第に追い詰められていく。
すべては情況証拠に過ぎず
すでに、エイムズの機密漏洩により情報源が連続して殺害されたことに危機感を抱いたCIAとFBIは、史上初めての合同捜査チームを作っていた。当初疑いをかけられたCIA要員は百九十八人。この頃には、容疑者は二十九人に絞られていた。エイムズはその中でも、リストのトップに掲げられていた。
九一年十一月、合同捜査チームがエイムズを事情聴取。しかしエイムズは自分から遇去の小さな失策を暴露することで追及をかわす。
しかしその後の調査によって次第にエイムズの疑惑は強まり、FBIによるエイムズ家の電話の盗聴、郵便物の検査が行われ、自家用章には発信器が取り付けられた。
更に、密かに捜索されたエイムズのCIAのオフィスからは、彼の仕事に関係のない百四十四の機密文書が発見された。自宅の捜索では、ゴミ箱からKGBとの秘密の接触を記した印字の跡が残るタイプライターのリボンが発見され、コンピューターファイルからは、指令メ」モなどをやりとりする「デッド・ドロップ」に、ワシントン三十七丁目R通りが使われていることも分かった。
逮捕にいたる四カ月というもの、エイムズのすべての行動は監視されていた。しかし、FBIは実際にエイムズがKGBと接触している証拠を得ることができず、すべては情況証拠に過ぎなかった。
九四年二月、エイムズのモスクワ出張が近づいていた。捜査の手が伸ぴたことをエイムズが勘づいていれば、万が一、亡命という事態も考えられた。そこでFBIは逮捕に踏み切った。
この史上最悪の二重スパイ事件に対し、CIA監察局長は、元CIA要員も含めた二十三人が責任を負うべきであるとした。しかしウルジーCIA長官は結局十一人を譴責処分にしただけで、誰も解雇、あるいは降格処分すら受けなかったのである。激怒した上院情報監視委員会はウルジーに辞職を勧告した。
エイムズが十年近くもKGBのスパイとして活動を続けられたのは、彼自身の裏切り、貧欲さだけでなく、CIA自身の欠陥、FBIとの確執の産物だった。
以上見てきたように、エイムズはスパイ活動で稼いだカネを使って周囲の注目を浴びる裕福な暮らしをするなど、スパイとしてはお粗末だった。しかし、そのエイムズを放置していたCIAのセキュリティの方が、もっと杜撰であったことがハッキリしたわけだ。
冷戦構造の終焉とともに、その存在意義を問われているCIA。エイムズ事件はその改革に拍車をかけることになるだろう。司法取引に応じたものの、結局終身刑を受けたエイムズ自身が、事情聴取の中でCIAがいかにムダな情報を大量に集めているか、その馬鹿馬鹿しさを指摘しているのだから。 |
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