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正論 2006年1月号
「ヒトはどのようにして誕生したか」をめぐる熱い論争」
全米に注目されたある公立学校の理科の授業
米東海岸ペンシルベニア州の小さな田舎町ドーバー郡で、中高校生に教える理科の内容に全米の注目が集まっている。
二〇〇七年から、ダーウィンの進化論をくつがえす新理論(ID=Intelligent Design=知的設計論)導入を決めた教育委員会に対し、保護者十一人が反対して激しく対立、議論は科学者、哲学者、数学者ら専門家も巻き込んでつ.いに連邦裁判にまで発展した。.ブッシュ大統領が二〇〇五年八月、ID論を支持する発言をしたこともあり、熱い対立はますますヒートアップしている。
「自然界は非常に複雑で、ダーウィンの進化論が主張する自然淘汰だけで説明できるほど単純ではなく、知的な設計者が介在しているはずだ」というのが新理論の柱で、ID論と呼ぱれる。
キリスト教徒が多い米国では、神の存在を信じる人が各種世論調査で六割を占めるが、公教育での天地創造説は一九八七年最高裁判決で違憲とされた。そこでID諭が台頭したが、果たして設計者は存在するのか、それは「神様」なのか。とにかく、『ニューヨーク・タイムズ』はじめ各紙が裁判の模様を運日トップで報じ、『タイム』誌などがこぞって特集を組み、メディアが初公判に殺到する騒ぎなのだ。
米国ではこの半世紀以上、冷戦期ソ連への対抗心から心の信仰より科学教育が優先されてきた。しかし冷戦が終結し、「9.11」で脅威がより身近にあることを実感してからというも.の、米国民は科学よりも心の信仰へ回帰し始めたようにみえる。ダーウィンの『種の起原』から百四十年、米国社会はこの新理論をどう許容するのか。現代米国を理解する一助となることを願い、現地報告したい。
公立中学、高校の理科で人類誕生の歴史をどう教えるのか−。保護者と教育委員会が対立したID論裁判は九月二十六日、米ペンシルベニア州ハリスバーグにある連邦裁判所で始まった。進化論を覆すID論も同等の時間を割いて教えるべきだと郡教育委員会が主張。これに対して十一人の親たちが「ID論は科学ではなく宗教だ。公立学校での宗教教育は違憲だ」と猛反発。どのメディアも裁判前から連日報じ、衆目を集めた。
裁判の二週間ほど前にタイミングよく『共和党の反科学運動』("The Republican War on Science")を上梓したジャーナリストのクリス・ムーニーは、初日から精カ的に取材し、その熱狂ぶりをこう語る。「この裁判は判事が決めるので、陪審員席が記者用にあてがわれています。そこからは証言者がよく観察できるからです。.海外メディアも来ていて、かなり早く入らないと座る席がなくなるほど記者で埋まっています」
そこまで注目されるID論とは何だろう。直訳すると「知的設計論」である。「自然界はダーウィンの進化論が主張する無作為の自然淘汰だけで説明できるほど単純ではなく、知的な設計者が介在しているはずだ」。その設計者が「神様」であると暗示はしているものの断定していない。つまり、エイリアンであるかもしれないし、神様であるかもしれないが、その設計者が誰なのかは問題ではない、という。
一九二五年の裁判は、今回と違って陪審員が評決を出し、テネシー州の法律を支持した。「聖書で教えられる天地創造の話を否定する説を教える」ことは違法だとして、進化論の教育を禁じた。今回はその裁判をもじってスコープス裁判第二弾(Scopes Trial U)と呼ばれる。
米科学界を牽引する著名な研究者、リーハイ大学の生化学者マイケル・ビーヒー教授や、ウィリアム・デムスキーのような一流の数学者もID論支持派に入ったころから、科学論争の様相を呈している。ダーウィンの『種の起原』が発表されてから百四十年。どんな判決が下されるのだろう。
「意見がニ分するとき、両方を教えるのが教育である」
ID論の火元をたどると、三年前のオハイオ州にさかのぼる。四人の専門家が、州主催の討論会で「進仕論」.を公立学校でいかに教えるのか議論した。二人がダーウィニズム支持派、残りの二人がID論支持派だ。
まず、現在の裁判でも証言台に立ったブラウン大学の生物学者、ケネス・ミラー氏とケース・ウェスタン・リザーブ大学の物理学者ローレンス・クラウスが約二時簡「進化論」を擁護した。続いて、シアトルに本部を置くディスカバリー協会から、創立者の二人である哲学者のスティーブン・メイヤーと生物学者のジョナサン・ウェルズが持論を展開した。
進化論の側にたつクラウスが「現代の科学者のいかなる定義を持ってきても、ID論は科学ではない。だから教えるのは時間の無駄だ」と言うと、メイヤーとウェルズは「生物には、あまりにも複雑な要素が含まれている。哺乳動物の血液凝固のメカニズムにしても、バクテリアの繊毛にしても、単に自然淘汰では説明できない。だから、われわれ人間は知的設計者(Intelligent Designer)の産物だ」と反論。これはその後一貫してID論推進運動の反論の手法となった。
当時の資料によると、.メイヤーは討論会でこう続けている。
「公立校のカリキュラムで物議を醸すテーマがあり、専門家の意見が二分するとぎ、生徒たちは両方の見解を教えられるべきです。これを "teach the controversy approach" (何が論争になっているかを教えるアプローチ)と呼びます」
この後、オハイオ州では進化論を批判的に教えることが義務化され、推進運動は山火事のようにあっと言う間に全米へ広がった。先の「論争を教えるアプローチ」で、アラバマ州、アリゾナ州、ミネソタ州、ミズーリ州、モンタナ州、ニューメキシコ州、テキサス州と破竹の勢いで制覇したのである。
十九世紀と二十世紀の隔たり
この考えを主導する「ディスカパリー協会」は、九〇年、物理学、哲学、法学の各分野から学者が集まって設立された。一貫して議会へのロビー活動を最優先し、二,○○○年五月には連邦議会議事堂の一室でブリーフィング(要旨説明)を行った。題は「ID論の科学的証拠と教育で取り上げる意義」。約五十人が出席した。その中に下院教育・労働委の次期委員長に内定したトム・ペトリ下院議員(ウィスコンシン州、共和党)の姿もあった。かれを味方にしたことは、その後の運動に大きな励みとなった。
そのときID論を展開したのが、前述の生物学者ビーヒー、哲学者メイヤー、カリフフォルニ.ア大学パークレー校の法律学者フィリップ・ジョンソンをはじめとする錚々たるメンバーだ。
ビーヒー教授は九六年に『ダーウィンのブラックボックス』を上梓してベストセラーになり、ID論は世に知れ渡るにつれ宗教の臭いを消して広まっていった、同名の邦訳書は九八年に出版され、古本が定価の二倍の価格でネット取引されている(なぜか著者名がベーエとなっているが同一人物である)。
この論争で重要なカギを握るビーヒー教授も、実は彼自身、分子生物学に精通する前はダーウィンの進化論を何の疑いもなく信じていたと、以前、私の取材に対して明かしている。
「ダーウィンの進化論が説明する通り、ミクロのレベルで徐々に起こる進化が積もり重なってマクロレベルの変化につながると理解していました。しかし、生化学を研究するようになって、その観点から進化を考えるとすべてが変わってしまったのです」
敬虔なクリスチャンだから、天地創造論を否定する進化論に対して彼の宗教観が影響しているのではないかと私は感じた。彼は「まったく関係ありません。私は科学者ですから、データを宗教的な観点から分析することはありません」と冷静に答えた。
「生化学は、.生命の基本レベルの学問です。信じられないほど複雑な配列のタンパク質の離散構造を扱います。一つのタンパク質の構造から別の構造への移行は、ある程度の確率で予想できます。進化論はその生物学的な変化について、何の計画、つまり設計もないというのですからその時点で問題が生じます。私はその細胞レベルで研究していますが、それほど細かい部分をとってみても、システム全体が機能するのに(何らかの設計が)必要であることがわかります」
ビーヒーは、国会議事堂で行ったブリーフィングと同じ言葉を繰り返し、ダーウィンの進化論の弱点をカ説した。
ダーウィンが進化論説を打ち出したとき、まだ科学の世界はそれほど発達していなかった。.つまり進化論は十九世紀の限られた科学の理解の中で生まれた。今日科学者たちが認識する、もっと複雑なシステムを単なる突然変異と自然淘汰だけでは説明できない−。
よく引用されるのが、脊椎動物の眼球や血液凝固のメカニズムである。
「この複雑な過程は、ダーウィンの進化論だけでは説明できません。血液凝固の過程は、少なくとも二十のタンパク質がお互いに作用しながら起こりますが、この複雑なメカニズムはとても突然変異と自然淘汰だけで説明できるものではありません過程のたった一つの部分が機能しないだけでも、凝固は生じません。眼球ができる過程も同じようにあまりにも複雑で、とても進化論では説明できません」(ビーヒー教授)。
宗教的要素をどこまで公教育で教えるぺきなのか
実は、ID論と同趣旨の記述はダーウィンの進化論よりも古い一八〇二年にみつかる。哲学者、ウィリアム・ペイリーは著書『自然神学』の中で「生物の構造の複雑性は、設計者つまり神以外のいかなる説明も拒否する」と示唆した。ペイリーは、野原に石と時計が落ちている例を挙げ「時計は石と違って、故意に組み立てられているようにみえる。部品が正確に組み合さなけれぱ機能しない。時計には設計者がいる。この論理は、脊椎動物の眼球のような生物上の構造にも当てはまる」,と説いた。.
しかし五十年後、ダーヴィンが、名著『種の起原』で「自然淘汰による進化が設計の外観を作り出すことができる」と反論したことから、ペイリーは歴史の塵に消減してしまった。
ペイリーの考えは聖書の天地創造説(Creationism)に置き換えられ、静かに支持され、七〇年代からいわゆる創造科学(Creation Science)として進化論と同等に教える州も出てきたが、最高裁は八七年、「創造科学は聖書に頼り明確な科学的説明を欠いており、憲法修正第一条で保障する国教条項に反する」とし、ルイジアナ州の法律を無効にした。
九月二十六日の冒頭陳迩で、ID論教育を義務化しようとしたドーバー郡教育委員会を訴えた、原告側弁護士エリック・ロスチャイルド氏は、この最高裁判断を引用して「ID論は科学ではない。宗教である」と言い切った。..
少し長いが、冒頭陳述は全体像を知る上で最重要で包括的なので、該当部分を引用する。
《天地創造説は宗教色が強いので、彼らはその言い方をID論に置き換えてきた。『パンダとヒトの話』("Of Pandas and People")という教科書の知的設計論は、天地創造説と何ら変わらない。
ID論は八七年に最高裁が定義した創造科学とあらゆる点で一致しているとは言わないが、本質的には同じである。科学と言えるものではなく試験できる仮説もない。科学界で進化論の健全性については何の論争もない。
ID論は irreducible complexity (単純化できない複雑性)とか specified complexity (特化された複雑性)という高級な名前を使って議論するが、それはID論を正当化するものではなく、進化論を攻撃するためのものである。結局、ID論がどれほど進化論を攻撃しようとも、生命の進化について、繊毛や眼球ができる過程について、それが示す唯一の代替案は、奇跡か、突然の出現か、超自然の創造の行為である。それ自体、科学的ではなく宗教の議論である。
親たちは、子供の教育において公立学校に信頼を置いている。教室が、意図的に宗教的な見方を推進するために使われることは、その信頼を裏切ることになる。
以上の理由で、われわれは、カリキュラムの変更は違憲であり、永久に変更しないように命ずることを要求する》
一方、ID論者は宗教的な要索を消し去って進化論に挑戦したが、裁判所はこの点をどう評価するのか大きなポイントだろう。この冒頭陳述に対して、被告(教育委員会側9の弁護士、パトリック・ギルン氏はこう述べた。
《このカリキュラム変更は、教育委員会で十分に議論された末に提案された。次の説明を授業の初めに行う。
ダーウィンの進化論は、一つの理論なのだから、新証拠が発見されると同時に検証される必要がある。ID論はダーウィンの見解とは異なる生命の超源の説明である。
ID論はダーウィンの進化論とは異なった見方があることを生徒に認識させるためのものであり、この裁判は、教育における free inquiry (事由に何でも質問できること9.についての裁判で、宗教的意図についての裁判ではない。
当教育委員会は、常に良い教育を追求し、法に従う。
当教育委員会は、生物のカリキュラム強化のためにカリキュラム変更を決めたのであり、宗教推進のためではないと証明する。生徒に、進化論で解明されていない問題点を認識させることは、立派な一般教育である。
われわれの反論の方針は以下の通りである。
マイケル・ビーヒーは、天地創造説とID論の違いを説明し、論拠を示す。さらに進化論の間題点を挙げ、生徒にID論を認識させることは立派な科学教育だと立証する。微生物学の專門家、スコット・ミニッチは、ID論は自室での洗練された研究から出たものだと証言し、「『パンダとヒトの話』は立派な教科書だ」と証言する。
教育学者のディック・カーペンター(コロラド大学教育学助教授)は、当カリキュラムは批判的思考法を強化し、生徒は進化論の長所短所を認識させる点を立証する。教育哲学者のワレン・ノード(ノースカロライナ大学チャペルヒル校教育哲学教授)は、ID論が宗教ではないことを証言する。さらに教育哲学と一般教育の観点からも論ずる。
以上の専門家の証言から、ID論は天地創造説でないことを示し、被告(教育委員会)の判断を確実なものにする。実際にID論は超自然の創造者を必要とはしない。ID論は本質的に宗教ではなく科学である。ニュートンが重カの説明を導いたのと同種の見解からID論は出てきたのである。
.以上の理由から、当教育委員会の提示するカリキュラムの変更は一般教育のエッセンスを具現化し、今日の制約から心を解き放し、好奇心と批判的思考を推進し、われわれの国のためになる知識の追求も推進する》
科学と宗教は共存できるか
どちらの陳述も正鵠を得ているように聞こえる。
ホワイトハウスで八月上旬に行われた、大統領の地元テキサスの新聞記者とのやりとりで、ブッシュ大統領がID論も教室で教えた方がいいと支持したことでさらに議論は過熱した。
.《理科の時間に進化論とID論を組み合わせて教えることはいいことだ。何が論争なのか理解できるよう、両方の理論が教えられるべきだ。異なった学派の考え方にさらすことも教育の一部だと恩思う》
この発言は、想像以上に波紋を広げた。ブッシュ大統領本人には予想外だったかもしれないが、ブロガーのトッブのトピックになったという(プロガーというのは、インターネット上で意見交換する人々のこどである。個人が手軽に意見表明できるため全米で爆発的にヒットして定着、新メディアに育ちつつあ.る)。
現在、ID論推進運動は支持者の間で crusade (聖戦)まで位置づけられている。ニューメキシコ大学で化学を専門にするダイビッド・ケラー教授は、両者に軍配を上げる。
「ID論推進派は、ダーウィニズムさえもそれ自体で"信仰"のようになっていると主張しています。私からみれぱ、どちらもそういう意味では宗教の色が入っていますね」
だれもが認めるダーウィン進化諭の権威はオックスフォード大学のリチャード・ドーキンズ教授であり、もちろん彼はダーウィニズムを心底信じている。しかし、さらに科学が発達して、現時点で想像できない科学技術が発展すれぱ、簡単にダーウィニズムが覆されるときが来るかもしれない。.
結局裁判は、九月二十六日から十一月四日まで六週間も続いた。被告側証人の多くは.「批判的恩考法を奨励したかった」と証言し、パトリック・ギルン弁護士は最終弁論で「教育委員会のメンパーの中には、強い信仰を持っているものもいるが、宗教を推進することが彼らの主な目的ではない」と強調した。
一方、原告側のエリック・ロスチャイルド弁護士は「ID論は、真実性を欠いた非科学的なものであり、吟味した瞬間に崩壊する貧弱でちっぽけな類推だけに基ずいたもので.ある」と一蹴した。
判決は一月中に下される見通しである。裁判官は教育委員会がとった具体的な行動に墓づいて判断を下すのか、それとも公立学校でID論を教えることが許されるのかどうか、というもっと広義の枠で判決を下すのか、それは見物である。
.ヒトはどのように誕生したのだろう。将来、最高裁を巻き込む訴訟合戦になるだろうこの裁判で、判決は、かつて米国を二分した中絶論争のように現代米国の価値観を映し出すことだろう。
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