週刊文春 1996年4月25日号
現地特別取材
FBIを翻弄した連続爆弾魔ユナボマーの「反逆人生」
十八年もの間、全米を震憾しつづけてきた爆弾魔ユナボマー。その正体は、モンタナ州の山小屋で隠遁生活をする天才的数学者だった。だが、なぜ彼は爆弾魔になったのか。同時代を生きたアメリカの代表的作家丁・ピンチョンの分析を交えて、ユナポマーの真実に迫る。
大学(universityと航空会社(airline)に関係する人間ばかりを爆弾テロの対象としてきたため、FBIから「ユナポマー」(UNABOMBER)と名付けられた爆弾魔。その有力容疑者が、十八年もの捜査の末、ついに逮捕された。アメリカ犯罪捜査史上、これほど捜査当局を翻弄し続けた例はないという。
彼のテロは、一九七八年のノースウェスタン大学(シカゴ郊外)の爆破以来、十六回も繰り返され、死者三人、負傷者は二十三人に上った。
この有力容疑者はセオドア・ジョン・カジンスキー(53歳)。彼はハーバード大学をわずか二十歳で卒業し、カリフォルニア大学バークレー校で助教授としてて教鞭をとったこともある天才的な数学者だった。
今月三日、四十人もの捜査員は、数週間の張り込みの後、カジンスキーが住むモンタナ州の山小屋に突入した。カジンスキーは呆気なく取り押さえられた。しかし、仕掛け爆弾の恐れもあり、爆弾処理班のチェックの後、家宅捜索は慎重に行われた。
この小屋は、幅三メートル、奥行き三・六メートルほど。一部屋しかなく、電気も水道もなかった。まさに山中の隠遁生活そのものの仔まいだった。
FBI調書によれば、押収されたのはパイプ爆弾をつくるのに必要な部品と化学薬品、爆弾作成のための図解入りの解説書十冊。このノートには、爆弾製造に不可欠な化学合成物の解説が英語とスペイン語(カジンスキーはスペイン語が堪能)で書かれていたという。
逮捕のきっかけは「声明文」
さらに、ロフトにはパッケージが隠してあり、X線で検査したところ、その中には、パイプ爆弾の完成品が入っていた。ユナポマーの次なるターゲットは既に決まっていたのだろう。
押収された証拠の中で、もっとも決定的とみられているのが、昨年六月に「ニューヨーク・タイムズ」「ワシントン・ポスト」に送られてきた「声明文」の原稿だった。
しかも、小屋で発見された三台目のタイプライターは、ユナボマーが新聞社に送った「声明文」の書体とぴたりと一致した。
この三万五千語に上る「声明文」は、九月に数ぺージを使って掲載されたが、両紙は、爆弾テロに屈したとして非難を浴びたものだ。たが、皮肉なことに、このカジンスキーの思想を語った「声明文」が逮捕のきっかけとなり、また有力な情況証拠になっていく。
セオドア・ジョン・カジンスキーは、一九四二年五月二十二日、シカゴ郊外のイリノイ州エパーグリーンパークで生まれた。父親はソーセージエ場の労働者だったが、母親のワンダがとくに教育熱心であった。
子供のころは「テディ」という愛称で呼ばれ、まじめで勉強好きな少年だった。ワンダは二人の息子たちの知的欲求を刺激するために、美術館や図書館に連れていったり、科学専門誌を読んで聞かせたりする典型的な教育ママだった。
テディは小学生のころから、爆弾づくりに熟中していた。
当時のクラスメイトで、現在ダートマス大学教授のディル・エイケルマンは、当時の思い出をこう語る。
「テディは電池や硝酸カリウムを使って、爆弾を組み立てる知識をもっていました。友達みんなで、野原でゴミ箱を爆破して遊んでいたんです」
母親はテディの爆弾好きについては知らなかったが、テディが小型ロケットに強く関心を抱いていたことを覚えている。
高校までのテディは、ガリ勉だけでなく、クラブ活動にも積極的に参加しようとしていた。友人らしい友人はほとんどいなかったが、高校時代、バンドに入ってトロンボーンを吹いたり、コイン・クラブ、生物クラブ、ドイツ語クラブ、数学クラブにも手当たり次第に入部した。しかし、どれも長続きはしなかった。
十六歳ですでに奨学金を貰ってハーバード大学に進学する「超」天才だった。しかし大学のエリオット・ハウス寮では、同級生たちは、彼との会話を思い起こせないでいるほど印象の薄い学生だった。彼の部屋は汚く、飲みかけのミルクの容器が部屋中に散らばり、悪臭が鼻をついたという。時には、ゴミが三十センチ以上も積もり、見かねて寮監を呼ばれる始末だった。
ハーパード大を二十歳で卒業し、ミシガン大学の大学院に進学。そこは六〇年代のキャンパス・ラディカリズム(反政府主義)の全盛期だった。ここでカジンスキーは、数学の修士号と博士号を取得する。
当時、カジンスキーの担当教授であったビーター・デューレン氏は彼についてこう語る。
「大学教授が二人がかりで取り組んでも解けないような難問も、カジンスキーはスラスラと解いてしまったね。だいたい数学をやっている人はみな創造力に富んでいるんですが、そのぶん変人が多い。ですから(他人と交わらない)カジンスキーが飛び抜けて変わっていたという印象はありません」
原始人のように荒野に住む
しかし、ラディカリズムの反映で、キャンパスでは上着もネクタイもしていない学生がほとんどのなかで、彼のカチッとした恰好は浮いていた。周囲からは「反逆児」と思われていた。
そのころから、カジンスキーは卒業アルバムの写真ですら撮られることを嫌い、ミシガン時代の五年間、一枚の写真も残っていない。
このミシガン大から、ラディカリズムの総本山ともいうぺき、カリフォルニア大学パークレー校の助教授に就任した。ここの大学の学生運動の過激ぶりはつとに有名で、学生たちは運動に反対するか参加するか、の二者択一を追られる厳しい雰囲気があった。
キャンパスが学生運動で騒然とするなか、カジンスキーは突如、大学を去る。彼に対する学問的な評価は高く、そのままいけぱ、終生、大学に在籍できる身分を保証されるほどだったという。ところが、二年間で助教ポストを投げ捨ててしまった。当時、彼は二十七歳。
この時の彼がなぜ隠遁したかについては確かなことはわからない。ただアドパイザーに宛てた手紙にはこう書かれている。
「私は数学を捨てますが、これからどうするかはわかりません」
前述した「声明文」には、「法律上、原始人のように荒野にわけいって住むことを妨げるものは何もない」
、と記されているが、この言葉どおり、七一年、カジンスキーは人里離れたモンタナ州リンカーン郊外の荒野に移住。弟のデイビッドとともに一・四エーカーの荒れ地を買い、そこに自分で小屋を建て、一人暮らしを始めた。
リンカーンの中心街のスーパーの店員が振りかえる。
「彼と会話を続けようと思っても続かないんですよ。彼が、この町に現れるのは、月にわずか一、二回でした」
ふだんは何週間も掘っ建て小屋から出ないことが多いが、外出する時は、ポロ自転車に乗るか、歩きだった。
カジンスキーは町の図書館で、「サイエンティフィック・アメリカン」「オムニ」といった科学雑誌を読み、モンタナの田舎町の人間は読むことのないような難解な本ばかり読んでいた。この町では手に入らない難しい本も、他の町の図書館から取り寄せていた。
この小屋で、彼は爆弾製造をしていたといわれるが、意外なことに彼自身はとても不器用だった。爆弾は原理さえわかってしまえば、製造は簡単なものだという。
爆弾製造と読書、そして、小屋の横につくった畑で、野ウサギと戦いながら、自分が食べる分の野菜や穀物をつくる。それが彼の日常のすべてだった。
唯一、例外的なことは、一度も会ったことのないサンチェスというメキシコ人と七年間文通していたことぐらいだろう。弟から紹介されたサンチェスには、格式ぱったスペイン謡で、一五十通もの手紙を書いている。昨年十一月二十八日付けの手紙の内容は次のようなものだった(「ニューヨーク・タイムズ」紙の訳による)。
〈私は以前より一層貧しくなっていますが、たいへん健康です。健康であることが何よりも大切です。いかに貧しいかといえば、私はちょうど五十三ドル一セントしかない。食用にウサギを追わないで、この冬は飢えを凌ぐのがやっとなほどです〉
「一日一ドルで暮らしていける」と話していたこの男は、FBIの捜査線上には一度も浮かんでは来なかった。カジンスキーの名前はFBIのデータベースには入っていたものの、有力容疑者とはならなかったのだ。
彼が教鞭をとっていたカリフォルニア大学パークレー校では、二回も爆破事件が起きたにもかかわらず、なぜFBIは彼をマークしなかったのか。
その最大の理由は、FBIがユナポマーの犯人像を教育レベルの高い人物とは思わず、爆弾組み立ての技術から判断して、ブルーカラー層だとばかり思い込んでいたからである。
逮捕されるまでに、FBIが権定したユナポマーのプロフィール(犯人像)は五回変遷してきた。初めの七九年と、第二回目の八五年に作成された犯人像は胸痛している。
「ユナポマーはブルーカラー。大学教育は全く受けていないか、あるいはほとんど受けていない。おそらく一匹狼である」
こうした推定を下したために、捜査員たちは、航空会社の従業員や航空機製造のブルーカラーばかりを捜査対象にしていた。これでは大学助教授が捜査の網にかかるはずはなかった。
八七年から九三年までは、爆破事件は起こらず、捜査は中弛みしていたが、九三年六月、イ工-ル大学とカリフォルニア大学サンフランシスコ校の教授を狙った連続爆破で、ユナボマー事件の特別捜査チームは再び活気づく。
この時使われた小包爆弾の消印がサクラメントであったことから、捜査の拠点をサンフランシスコに設置。四十五人もの専従メンパーが捜査に当たった。
FBIの間違った犯人像
さらにFBI行動パターン専門家は、それまでのユナポマー事件を分析し直し、犯人は五十代で、エンジニアリングのような科学の学位をもった人物という緒論を出した。さらに、犯人はおそらくラッダイト(技術革命反対論者)で、一匹狼の隠遁者であると推定していた。
しかし、この推定をユナボマー特別捜査チームは無視した。
九三年末、捜査の行き詰まりに痺れを切らしたFBIは、トールフリーの電話を設置し、百万ドル(約一億円)の懸賞金を用意した。インターネットを使い、ユナポマーの情報も流した。
〈(前略)ユナボマーの犯人像は、隠遁者、すくなくとも高校教育を受けた三十代、四十代の白人。几帳面な生活を送っている。きちんとした身なりの人物・・・。
自分の作った爆弾にFC(注freedom Clubの略)というマークを残す。(中略)
爆弾犯は一人ではなく、グループかもしれない>
新聞社に寄せたカジンスキーの「声明文」は"I"ではなく"We"を使っていたからだ。
この事件で、捜査員から事情聴取された人間は十八年間で数干名にもおよび、捜査費用も五千万ドル(約五十億円)を趨えるという。.超大型のコンピュータも導入しながら、直接捜査には役立たなかったのだから、FBIとの対決はカジンスキーの完全勝利といえるかもしれない。
カジンスキー逮捕のきっかけは、実弟の密告だった。
カジンスキーよりも七歳年下のデイビッドも、五年前までは兄同様、隠遁生活をしていた。デイビッドはハーバード大学を卒業し、テキサス州の郊外の小屋に、電気も水道もないまま閉じ籠もり、小説を書いたり、思索に耽っていた。
五年前、高校時代から思いを寄せていた同級生との結婚のため、.ニューヨーク州に移る。その後、家出人のソーシャル・ワー力ーをしながら、慎ましく暮らしてきた。
そのデイビッドは、昨夏からユナボマー事件と自分の兄は関係があるのではないかという悪い予感はしていたという。その予感は、新聞に発表された「声明文」を読んだ時に決定的となった。
その翌月(九五年十月)、デイビッドはシカゴの私立探偵事務所で働く友人のスワンソンに、電語をかけた。スワンソンは、カジンスキーの書いた文章を手渡され、早速調査を開始した。
さらにスワンソンは知人の元FBIの行動パターン専門家に連絡。名前を伏せて、カジンスキーの文章の分析を依頼したところ、先の「声明文」と、この文章は同一人物が書いた可能性が高いという緒論に達した。
スワンソンはすぐさま友人の弁護士に依頼して協力を仰いだ。この弁護士も、カジンスキーがユナポマーであることを確信。今年一月末、デイビッドの許可をとって、かねて知り合いのFBI捜査員に運絡した。
この時点でも、FBIにはカジンスキーの名前は伏せていたが、FBIは独自のルーートでカジンスキーを特定した。説得の末、二月の第一週にFBIはデイビッドとの接触に成功する。それから、カジンスキー逮捕に向けて事件は急展開をみせる。。
なぜ爆弾魔になったのか
まず、カジンスキーの生家から、彼の書き物が入った段ポール箱が見つかり、その分析の結果、FBIは彼がユナポマーである確信を深めたどいう。その直後から、モンタナ郊外の山小屋のまわりには、不動産屋、郵便配達人、きこりに変装したFBI捜査員が張り込んだ。そして、四月に入って逮捕に踏み切ったのである。
彼の逮捕以降、インターネットはユナポマーを英雄視するメッセージで溢れかえった。「カジンスキーを大統領に」という声まで出たほど。全米中のメディアが特集し、彼の反技術箪命の思想に興味を示す人も多い。
捜査員たちは、カジンスキーが九九・九%ユナボマーであるというが、この天才的な数学者がなぜ、爆弾魔になったのかという謎は依然として残る。
現在のところ、ユナボマー事件は、目撃者も直接的な証拠もなく、カジンスキーと事件をとりまく情況証拠だけである。日本であれば、今後、カジンスキーの供述が重要になるだろうが、アメリカでは容疑者の無罪擢定が日本より徹底しているために、全米で起こった爆弾事件とこうした情況証拠をいかに結び付けていくかが、今後の裁判のポイントになる。
カジンスキーと同時代を生き、アメリカを代表する純文学作家であるトーマス・ピンチョンはこの事件をこう分析する。
「(我々の世代では)ラディカリズム(反政府過激派)は今も続いている問題だ。学生の徴兵間題に端を発して、ベトナム戦争に反対し、反政府主義に変わっていった。とくにカジンスキーがいたバークレー校はもっとも過激だった」と、六〇年代後半を振りかえる。
「彼が大学を辞めたのも、プッツンしたからではないかと思う。当時は、大学が政府のために何かしていると思うと、ラディカリズムの教員はすぐに仕事を辞め、放浪した。時代の状況を考えると彼のやったことは理解できるんです」
ピンチョン自身、六三年、処女作「V.」を発表してすぐに世間から姿を消している。
「爆弾という手段はよくないし、彼のターゲットの選び方もわからない。しかし、私は彼の考え方に共鳴する人も多いと思う。たとえば、コンピュータ一つとっても、その製造過程は消費者には見えず、この機械が本当に人間を幸せにするのかどうかは誰も真剣に考えない。ハンバーガーを食べても、牛を殺すところは見えない。そういう過程を知らないと、一つの出来事が、将来どういう結果をもたらすか予期できない。カジンスキーは、そういうこともすべて考えてものを見ている。彼から学ぶべきところはたくさんある」
笑い顔を見せたことがないユナボマーが、裁判所に連行されて初めてにやりと笑った。その笑顔は、「これでようやく自分は世間に認められた」という安堵感の現れのように見えな<もなかった。 |
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