ハーバート・ヘンディン医師&チャールズ・マッカーン医師
安楽死YESかNOか
「そう簡単に死なない」時代に不可避のテーマ
(AERA 2000年8月7日号)

操られる死―“安楽死”がもたらすもの
ハーバート ヘンディン (著), Herbert Hendin (原著), 大沼 安史 (翻訳), 小笠原 信之 (翻訳)
医師はなぜ安楽死に手を貸すのか
チャールズ・F. マッカーン (著), Charles F. McKhann (原著), 杉谷 浩子 (翻訳)

安楽死を巡る翻訳が続いた。『操られる死』と『医師はなぜ安楽死に手を貸すのか』
正反対の考えを持つ二人のアメリカ人医師に話を聞いた。



No 『操られる死』だ

ハーバート・ヘンディン医師
1926年生まれ。コロンビア大学卒業後、ニューヨーク大学医学部に。アメリカ自殺予防財団のメディカルディレクターを務め78年から現職。著書に"Suicide in America"など。


ニューヨーク医科大学で精神医学の教授を務めるヘンディン医師は、アメリカ自殺予防財団の医療責任者でもある。すでに50年近くも精神科医として歩み、自殺研究の第一人者として知られている。

苦痛緩和の技術こそ

「私のところに来るほとんどの人は自殺したがっています。そういう患者と話して死にたい気持ちをなくさせるのが私の役割です。もともと死ぬ権利や安楽死には関心がなかったのですが、ジャック・キボキアン医師や『ファイナル・エグジット、安楽死の方法』を書いたデレック・ハンフリーが安楽死を合法化する方向に突進し始め、財団に何とかせよと言われたのがきっかけで、オランダまで行って調査してきたのです」
オランダの例は安楽死に賛成する人にも反対する人にも利用されているが、ヘンディン医師は、「もし医師による自殺幇助を含む安楽死が完全に合法化されたら、苦痛を除去する努カをする前に医師は患者を殺してしまう」と思ったという。それが『操られる死』を書くきっかけだった。
「苦痛を感じている患者を快適にするには、かなりの医学的知識が必要です。安楽死させることよりもはるかに難しいのです」
まず医師は苦痛を緩和する技術を学ぷべきで、現代医学ではほとんどの場合が可能だという。
ヘンディン医師は misguided compassion(見当違いの同情)という言葉を使って実際にオランダで起こった一つの例を持ち出した。
一人の医師が患者の苦痛を緩和して病院を去った後、別の医師が来て安楽死させてしまったという。
初めの医師が理由を問い詰めると、後の医師は「患者は安楽死したいのだと思った。いずれにせよ、あと一週間ぐらいで死ぬだろうし、ベッドが必要だったこともあった」と淡々と語ったという。

マイノリティーが犠牲に

ヘンディン医師は、人間の気持ちの変わりやすさも強調する。健康なときに夫婦で交通事故に遭い、一人が死に、もう一人は助かったが、体全体が不随状態になったらどうするか、と問われると、99%の人は事故で一緒に死んだ方がましだったと答えるという。
「実際に事故に遭って同じ状態になってもほとんどの人は初めはそう思います。でも意識がはっきりしたまま呼吸器をつけてきちんとケアして一ヶ月もすれぱ、死にたい気持ちはなくなっていくのです。
もちろん患者が呼吸器を外してほしいという権利はありますが、初めの一ヶ月は外しません。気持ちが変わるのが多いからです」
今アメリカは管理医療が進み、患者を「生かしてておく」誘因がなくなってきている。
「もし安楽死が完全に合法化されれば、医療費を支払う能カがない黒人やマイノリティーが犠牲になる可能性があります。経済的な理由で犠牲になる人が出てきます」


Yes  『手を貸す』ワケ

チャールズ・マッカーン医師
1930年生まれ。ハーバード大学卒業後、ペンシルベニア大学医学部に進む。ハーバード大、ミネソタ大を経て80年エール大医学部に移る。専門は腫瘍学。著書に『がんの真実』。


70歳になるマッカーン医師は名門エール大学医学部の外科学教授で、がん治療の専門医である。
オレゴン州で自殺幇助法案が住民投票で可決されたことが、今回の本を書くきっかけのひとつになった。マッカーン医師は他州でも合法化されるべきだと主張する。
このテーマは、マッカーン医師が直接接したがん患者との関わり合いのなかで、ずっと脳裏に引っかかってきたことでもあるという。
執筆を決めてからは、さらに何十人人という自分の患者に長時間取材した。だから、決して机上の空論ではないと訴える。
オレゴン州で可決されたとはいえ、医師による自殺幇助を合法化する壁は大きい。世界中で完全に合法化しているのは同州だけだ。
この壁をどう越えるか。マッカーン医師は、患者が自殺幇助を要請できる条件として、次の項目を挙げる。
@すでに死期に近いか、かなりの苦痛を感じている。
A医師と十分話し合い、自分の病気について医師が知っている限りのことを知らされていること。
それには予後に治療しないことも含む他のすべての治療法に関する情報や、ホスピスなどの
選択も含まれる。
B主治医がまったく知らない医師で、しかも患者が患っている病気に関して専門である別の医師
にAの条件に書かれた情報を要求し、与えられること。
C患者に判断能力があり、鬱の精神状態ではないこと。
D経済的な理由などで家族や周囲からの圧力がないことを十分確認すること。

「滑りやすい坂」への注意

安楽死の議論で必ず登場するのが slippery slope (滑りやすい坂)の可能性である。
一旦自殺幇助を合法化すれば、それがいずれは「自分の意思によらない安楽死」につながり、保険もなく、医療代も払えないような貧しい人が犠牲になる可能性があるという考え方だ。
合法化すると法律の悪用が生じ、社会の弱者が犠牲になる可能性があるというのである。
マッカーン医師は、そういう議論に対し、防御手段をきちんと講じていれば、その坂を滑るはずがないと強調するのである。
「私は最終的に、医師による自殺幇助の中には、安楽死−これは当然自分の意思による安楽死という意味ですが−は含まれるべきだと思います。患者が自分の意思で要請していることをきちんと確認すれば、滑りやすい坂を下ることはない、と確信します」
実際、オレゴン州で合法化された後、何ら法律の悪用は見られていないとも主張する。
「合法化すれば、自殺幇助を患者から直接要請された医師は躊躇することなく、実行できるのです」


安楽死は「自殺幇助」と「直接死なす」に大別
オレゴン州では合法化

安楽死は、医師が患者に致死量の薬を処方する自殺幇助と、直接、注射などで死なせる2つの場合に大きく分けられる。
患者が自分の意思で延命治療をやめる「尊厳死」とは分けて考えられる。
アメリカ・オレゴン州で1994年に住民投票で可決された安楽死法は、「医師は18歳以上の末期患者に致死量の薬を処方してもいい」という自殺幇助法だった。
同様の自殺幇助法案はこれに先だって、91年にワシントン州、92年にはカリフォルニア州でも、それぞれ住民投票にかけられた。だが、どちらもわずかな差で可決されなかった。法案の中に、医師による直接的な安楽死も含まれていたのが原因だと言われている。
これに対してオレゴン州では、医師による自殺幇助だけに的を絞り、結果、賛成派が勝利を収めた。
この2月、オレゴン州衛生部から出された報告書によれば、98年1月1日から同年12月31日までに致死量の薬を処方してもらった患者は23人。
そのうち実際にそれを飲んで死んだ人は15人。6人は飲む前に自分の痛気で死に、99年1月1日の時点で2人は生きていた。
自殺幇助を依頼した第一の理由は、自分に対するコントロールを失う恐怖だったという。
一方、医師による自殺幇助の問題について米国民の意識を一段と高めたのが、ミシガン州のジャック・キボキアン医師とニューヨーク州のティモシー・クイル医師の行為だった。
キボキアン医師は130人以上の患者の自殺を幇助したと公言、殺人罪などで有罪判決を受け、今は服役中だ。
クイル医師は、白血病患者を安楽死させた詳しい過程を医学誌として権威あるニューイングランド医学誌に掲載し、全米に議論を巻き起こした。
2人の医師は対照的な存在として比較される。
キボキアン医師は、患者かがぬ1、2日前に初めて相談に乗っていたのに対し、クイル医師の場場合は、長期間、患者を診て信頼関係をつくっていた。
このためクイル医師には「よき医師」と讃える声が多かった。
また、オランダでは、条件を満たした場合、医師が安楽死を実行しても訴追されないようになっており、事案上、合法化されていると言ってもいい。
下院では、完全に合法化するための刑法改正案を審議中で、年内にも成立の見通しだ。

 
 
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