週刊女性セブン 2004年2月5日号
独占告白 注目の出産の一部始終を語った!
向井亜紀の代理母
「私が事前に受けた筆記テスト500問の中身と報酬。そして双子の減胎を申し出た時」
関連書籍
会いたかった 代理母出産という選択
会いたかった―代理母出産という選択
向井 亜紀 (著)

2003年1月、2度目の代理母出産にも失敗。でも、どうしても、諦められなかった――。 子宮頸ガンによる子宮全摘出で、16週の小さな命を失くしてから3年。3度目のチャレンジで、やっと出会えたふたつの命。 先日、双子の赤ちゃんが代理出産によって誕生した向井亜紀さんがつづる感動のノンフィクション!


インタビューに応えるシンディさん。

「もう代理母はしません。もう満足したからです」
−アメリカ・ネバダ州。砂漠の中の小さな農業.の町で、代理母のシンディ・ヴァンリードさんは、記者の質問に静かにほほえんで、語り始めた。高田・向井夫妻と初めて出会って一年。彼女にも大きなドラマがあった。


「ふたりとも私のお腹にいたことが信じられませんでした。生まれて、何とビューティフルかと思いました」
身長約160センチ、金髪が美しい、薄茶色の瞳をしたアイルランド系アメリカ人のシンディ・ヴァンリードさん(32才)は出産の瞬間を微笑みながらゆっくりと振り返る。
向井亜紀(39歳)と高田延彦(41歳)夫妻が満面に喜びをたたえながら、都内のホテルで記者会見を開いたのは1月15日のこと。
会見では双子の写真も公開。長男は万里くん、次男は結太くんと名付けられた。兄弟は両親とともに1月9日に日本に“帰国”しており、兄は3・8キロ、弟は4・5キロと順調に育っているという。
向井夫婦の願いを叶えた代理母・シンディさんはアメリカ・ネバダ州のリノというカジノで有名な町の近くに住んでいた。
シンディさんが暮らしているのは、人口約8500人というとても小さな農業の町。日本でいえば典型的な過疎地。民家は一軒一軒が離れていて、街灯もほとんどなく、夜になると星明かりだけの寂しさになる。
アメリカのドラマによくでてくるような平屋建ての自宅で夫と共に丁寧に取材に応じてくれたシンディさん。代理母となるきっかけどは何だったのだろうか。
「元々は私自身が“代理母をやりたい”と、インターネットで宣伝したのです。3年前のことでした。世の中には子供が欲しくても、何らかの理由で生むことができない女性ほたくさんいます。そういう人にギフトを与えたかったのです。州によっては禁止しているところもありますが、ネバダ州では合法であることを後で知りました」
主婦の傍ら、地元の家具店で事務の仕事や、知人のベビーシッターをやっていた彼女の決断に、自動車修理工の夫・ジェイムスさん(38才)は特に反対はしなかったという。
「主人には、最初から秘密にはしませんでした。代理母について説明したら、すぐに賛成してくれました。インターネットに文章を書くときもそぱにいたほどです。うちには私たち夫婦の間に生まれた子供が3人、夫の連れ子の14才の男の子と、あわせて4人の子がいますが、彼らにもきち.んと説明しました。どれだけ理解してくれたかはともかくね」.
.と笑顔で話すシンディさん。ネット上に告知してまもなく、代理母斡旋業者から運絡があった。日本人夫婦のための代理母はどうか、という申し出だった。
「最初は別の日本人夫婦のためにトライしました。でも、そのときは失敗に終わりました。アキ(向井亜紀)については、1年前に打診されました」
シンデイさんによれぱ、日本人の代理母を引き受けるにあたって、斡旋業者から詳細な事前検査を受けたという。
「さまざまなテストを受けました。ひとつは遺伝的テスト。採血され、遺伝病の有無を調べられます。がん遺伝子についても、調べられました。
夫は一度も笑顔を見せなかった。

他には心理テスト。精神科医の問診を1時聞ほと受けました。代理母出産に対する夫の考え、夫婦双方の両親の意見も聞かれました。家族全員の支持があることが重要だったんです」
シンディさんは、インタビュー中、隣でじっと話に耳を傾けるジェイムスさんを見つめながら、「家族」という言葉を強調した。
「その他に筆記テストもありました。500問もあって、戦争をどう思うか、殺人についてどう思うか、暴カについての考えとか、一見、代理母に関係ないように思える質問がたくさんあったのが印象的でした。.
テストではありませんが、最低でも子供が2人以上いることが、代理母になる条件でした。出産した途端、“この子を渡したくない”といい出す代理母もいるからです。でも私は、すでに子供が4人もいるし、これ以上は欲しくはありませんでした」

「双子とわかって、混乱し悩んだ」

そうした各種条件をクリアしてシンディさんは向井の代理母として選ばれた。彼女にとって、向井夫妻の第一印象はどのようなものだったのだろうか。
「初めて会ったとき、アキは非常に美しくて10代のように見えました。年齢を聞いても信じられませんでした。夫妻とは子供は男女どちらがいいかとか、彼らの日本での生活ぶりとか、いろんな話をしました」
彼女は、いざ向井たちの代理母になるにあたり、子供たちにこう説明したという。
「“アキとノブは子供が持てないから私が代わりにお腹に入れているのよ。生まれたら彼らのものよ”と話しました」
そして別表の通り、2003年6月、妊娠9週にして向井が経過を公にし、大きな話題となった。シンディさんにとっては4回目の妊娠だが、今回は体外受精で代理母。実は不安の毎日だったという。
「妊娠が判明するまでが辛かったんです。妊娠しやすくするため、毎日、ホルモン注射を打つ必要があるからです。私にはイライラする副作用があったんですよ。妊娠してからも心配事はありました。赤ちゃんが元気かどうか超音波検査もやりました」
日々大きくなっていく自分のお腹。気持ちの変化も生まれていった。
「お腹が大きくなるにつれ、心配もありましたが、検査のたびに子宮の中で健全に成長していることがわかって幸せに感じました」
しかし、そんなシンディさんも子供が双子とわかったときは混乱し、悩んで医師に相談したという。
「双子であることについては、私の体が臨月まで耐えられるかどうか自分の子供の世話や生活もあり、すごくそのときは不安を感じてしまって悩んだ末に減胎を申し出たんです。つまり、双子のうちのひとりを堕胎したいといったのです。しかし、アキの強い意志と希望を聞き、また医師の安全であるという説明をうけて、双子を生むことを決心したんです」
向井は、今回の代理母出産の経緯を、350ぺージにおよぶ単行本にまとめた。その著書『会いたかった 代理母出産という選択』(幻冬舎・1月21日発売)の中で、意を決してシンディさんに自分が子供を堕胎したことを語ったと書いている。
《私は、一度、子供を堕胎しました」(中略)どう思われたっていい。私には消すことなどできない、悲しいけれど大切な思い出があるのだ。
「それは、私の子宮にガンがあったからです。16週の小さな赤ちゃんでした。(中略)私は、お腹の中の赤ちゃんに心から謝りました。けれど、あの子を思い出すたびに今も涙を止めることができません。私は、もう二度と、赤ちゃんを堕胎することはしたくないのです」》
今回シンディさんは、帝王切開を選んだ。それまでの3回の出産すべてが自然分娩だったが、やはり双子出産ということが影響しているのか、言葉を選びながらシンディさんは話す。
「出産のリスクを減らすためではなく、もっと個人的な理由です。私の子供たちは全て自然分娩でした。だから、アキの子供は、それと分けるために帝王切開にしたのです。心理的な問題です。それにテレピクルーが出産シーンを撮影していたこともありました。他人にば意味のないこだわりに聞こえるでしょうけれとね」
そして出産の瞬間。
「脊髄に麻酔注射をされていましたが、意識ははっきりしていました。どれくらい時間がかかったか覚えていませんが、あっという間でした」

「代理母はもうやりません」

大きな仕事を終えたシンディさんは終始おだやかな表情をしていた。その彼女に、日本の法律では、出産した人が母親となり、代理母は許されていないことについて話をすると、こんな意見を口にした。
「日本の法律は間違っています。日本はとても伝統的ですが、時代は変わったのです。法律も時代に即して変えるべきです」
だがその一方で、今後も代理母を続けるか、という質問には迷うことなくこう答えた。
「私自身はもうやりません。今回、私がアキの代理母を引き受けたのは、前に失敗したことがあったからです。今度の成功で達成感を得ましたから、もう繰り返す必要はないのです」
.きっぱりと話すシンディさん。すでに報酬も受け取り済みだと.いう。
「業者からば当初、保険とか入れないで1万8000ドルの謝礼に、双子の場合ばプラス2000〜3000ドルといわれました。だからって今回双子を産んだわけじゃないですよ。それは偶然よ(笑い)。その謝礼でこの家のローンを返済したんです。ここは土地が10エーカー(約1万2000坪)あって、家の価格を含めて5万5000ドル(約600万円)でした。その残りのローンを払って、ようや“家主”になれたわけです。とても満足です」
日本では、向井の代理母を務めたということで注目を集める彼女だが、代理母出産は彼女自身の中でもいろいろな思いのあった10か月であり、本当にこれが最後と思うほどの大きな仕事だったのだ。
前出の、夫婦の歩いた涙と感動のエピソードが綴られている向井の著書では、出産の瞬間の喜ぴはこう書かれている。
担当医の「ルック。コングラチュレーション」という声を聞いて初めて喜びが湧いた向井。《Dr.ファリンガーの大きな手に頭と脇を支えられ、たった今、空気に触れたぱかりの新しい命が高々と持ち上げられている。
・・・動いた!顔がゆがんで、・・・口が開き、声を、・・・産声を、上げている!泣いた・・・泣いてくれた!》
子宮全摘出から3年目に得たわが子。向井も高田も喜びにただただ声をあげるだけだった。ようやくわれに返った向井はシンディさんに「ありがとう」を繰り返していたという。

「代われるものなら、代わりたい」

夫・高田の支えを受けながら日本とアメリカを往復しながらシンデイさんの様子を確認。エコー検査で小さなふたつの命を目のあたりにして声を出して泣いてしまったりもした。そして出産もすべてが順調だったわけではない。
出産直前、母体から羊水が流れ出し、病室に緊張が走ったことがあったという。シンディさんは2時間おきの検温を強いられた。このときぱかりは向丼は深く思ったという。
《胸が締めつけられた。代われるものなら、本当に本当に代わりたいと思う》
苦難を乗り越え、無事に赤ちゃんを抱くことができた向丼だが、いまなお残っている問題もある。法律として双子の母親は誰なのか、という問題だ。
日本では、代理母による出産に対する賛否が分かれているが、厚生科学審議会先端医療技術評価部会が2年の議論の末に出したのは、代理母禁止との結論だ。委員を務めていた矢内原巧・昭和大学名誉教授(産婦人科)は、「子供を産めずに苦しんでいる人はたくさんいます。私自身、産婦人科医として、そういう人たちの気持ちは理解できます」としたうえで、代理母禁止の結論に至った理由を解説する。
「大前提として考えたのは子供の福祉です。代理出産を認めると4種類の母親が考えられることになります。遺伝子上の母、産みの母、戸籍上の母、育ての母です。これでは子供が混乱しかねません」
さらには、生命の尊厳の問題、商業化の問題、人体を生殖技術の手段として用いることの是非などの問題点も指摘する。
現状では、海外で代理母による出産を選択した日本人夫婦は、なんとすでに100組以上といわれる。そのほとんどは、代理母による出産とは明かさずに実子として出生届を提出、認められているのが現状だ。
法務省とともに代理母問題を協議している厚生労働省はこうコメントする。
「できるだけ早期に法整傭を含めた制度整備を行うようにそれに向けた作業をしているところです。内容は検討中です。また、個々の内容についてはこれから検討していくということです」(厚生労働省雇用均等・母子家庭局母子保健課)
向井は同著の中でこう語る。
《私たち夫婦の考え方ほ、日本人としては少数派かもしれない。もちろん、子供はいじめられ、ショックを受け、人生を踏み外すかもしれない。けれど、そうなるとは限らないと思うのだ》
あえて困難な道を選んだ向井夫婦。しかし彼女たちによって確実に新しい道がひどつ切り開かれようとしている。
 
 
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