ウィリアム・ドレイトン/William Drayton
How to Raise Changemakers
「社会起業家」の父が語る
社会起業家の育て方

(Diamond Harvard Busines Review 2008年1月号)


貧しい自営業者に資金を融資する「マイクロ・クレジット」。
その先駆けとなったムハマド・ユヌスが、2006年にノーベル平和賞を受賞したことで、一躍、社会起業家の存在が注目を集めるようになった。
ウィリアム・ドレイトンが1981年に創設したアショカは、ユヌスを含め、世界中で数多くの社会起業家を支援してきたことで知られる。創設以来、60カ国以上で活動し、支援した社会起業家は約1500人に上る。
社会起業家は、社会の重要な問題を解決こ導くために、新しいアイデアを考案し、不屈の精神でその実現に向かって進む。「それがビジネスであろうと、社会セクターであろうと、新奇なアイデアを発案し、それをアイデアだけに終わらせずに、実行し、結果を出すという点では同工異曲です」と「社会起業家の父」は語る。



世界を変える人たち


2007年夏、アメリカに住む中南米を中心とした出稼ぎ移民の本国への送金サービスを革新した枋追(とちさこ)篤昌が、日本人として初めてアショカ・フ ェローに選ぱれた。東京銀行出身の枋追は培った金融知識を生かし、銀行口座を持てないばかりに、法外な手数料やさまざまな不便を強いられる移民送金の現状と、その送金を待ちわびる本国の貧困の問題を同時解決しようと試みている。端的に言えば、移民送金の二ーズに応じた金融サービスを提供し、滞留中の資金を基に送金先の国においてマイクロ・クレジットを提供する、という仕組みだ。2003年のスタート以来、事業は拡大を続け、特にこの数年は送金対象国も増え、急成長期を迎えている。

アショカ・フェローとは、ウィリアム・ドレイトンが創設した社会起業家の発掘・支援を目的とする団体、アショカが支援対象として選んだ優れた社会起業家に対する呼称だ。アショカ・フェローに選ぱれることで、アショカの世界的なネットワークを生かした物心両面の支援を得られるぱかりか、フェローであるということが確かな信用として働き、一般の投資家からも有望な投資対象と見られるようになる。ただし、アショカが求める結果は利益ではない。その事業によって、困難な状況を生む世界そのものを変えることだ。起業家の小さな成功をより大きな社会変化に導くために、アショカは事業の急成長期に支援の手を差し伸ぺるのだ。

社会起業家とビジネス起業家の違い

−ビジネスの起業家と社会起業家の違いは何でしょうか。

ドレイトン(以下略):98%同じです。ビジネス起業家も社会起業家もビジョンを持ち、それを実行に移す最善の方法を求めるという点では同じです。すべてのことにオープンである精神は、どの世界の起業家にとっても等しく必要です。ほとんどの人は目の前に問題が生じても直視したいとは思いませんが、起業家は目を大きく開けて見ます。そこにチャンスがあると思うからです。両者の違いは、ビジネスは市場の支配を望みますが、社会起業家の目的はその予備軍である、チェンジメーカーの雇用者として大きくなることです。社会起業家は、グローバルな規模でチェンジメーカーを雇用し、仕事を通じて、どんどん増殖させていくというメカニズムの中心にいるのです。

−社会起業家を支援する組織をつくろうと思ったきっかけを教えてください。

ハーバードの大学生だった時分に南北問題に関心のあった私は、それを解決するにはどうしたらいいか、たえず考えていました。その時に、アショカの発想が出てきたのです。起業家というのは、発想と人と、それを支える組織を組み合わせる実行力があります。その力を南北問題の解決に生かそうと考えたのです。

私自身が自分の起業家の資質に気づいていたので、いつそれを実行に移したらいいか、わかる直感がありました。たとえ方法がわからなくても、いまこそ実行すべきだと思う時が、来るだろうと考えていました。ハーバード時代に思いついたアイデアを実行に移したのが1980年頃です。これには歴史的バックグラウンドもありますが、その時「いまこそ実行に移すべき」たと思ったのです。

−歴史的バックグラウンドとはどういうことでしょうか。

人類の歴史をさかのぽると、変化のタイミングというものがあることがわかります。農耕時代においては、大きな経済成長がなかったものが、1700年代を境に急上昇をしています。1700年代には20%、1800年代には200%、そして前世紀では740%もの経済成長が起きています。まさに1700年代を境に経済は大きく変わったのです。1700年代に何が起こったのでしょうか。それは、新しい構造の出現です。斬新なアイデアの考案者に富が集まり、尊敬されるという社会の出現です。それが大変化の基礎となりました。次の300年間は、この構造をより成長させ、確実なものにするための歴史です。有限責任組合、あらゆる金融機関、ベンチャー・キャピタル、コンサルティング・ファームなどの組織が次々と開発されていきました。エンジェル投資家が活躍しだしたのはほんの15年前のことです。

−あなたは70年代後半のジミー・カーター政権下の環境保護庁で、温暖化ガスの排出権取引というアイデアを考え、政策としての実現に尽力しました。その活動も時代の変化を象徴しているように思います。排出権取引のアイデアは後の京都プロトコルで採用され、現在の温暖化対策の柱になっています。しかし、80年にロナルド・レーガンが大統領になったことで、環境保護庁を離れ、長年温めていたアショカの活動にいよいよ取り組むということになったわけですね。

−カーターが再選されなかったことで、私自身考える時間の余裕ができました。このころには、アショカが注目しようとしていた社会起業家のフィールド、すなわち社会セクターの重要性は、我々のなかでは明らかであって、問題は、そのアイデアをいかに具体的に実行に移す計画を立てるかということにありました。

そこで、最初の5年間は、インドとインドネシアのみで、意図的に規模を小さくして運営しました。もちろん、これらの国ではさまざまな困難に直面することになりましたが、試行錯誤の末に、支援のやり方などを具体的に開発していきました。そのような努力の末、86年6月のアショカの理事会で、「まだ完全ではないが、基本的に正しい構想ができた」ということが認められました。それからは、その構想を世界中で展開するだけです。年率45%の勢いで、組織やフェロー、資金規模を広げていくことになりました。

−先ほど、コンサルティング・ファームの話がありましたが、アショカは、マッキンゼー・アンド・カンパニーと戦略的な提携関係にあるそうですね。

私自身が、70年代と80年代にそれぞれ5年間ほどマッキンゼーで働いていたことがあります。ただし、マッキンゼーとの関係は、アショカのブラジル事務所の経験がべ-スになっています。社会起業家は、まず準備段階から始まりますが、やがて事業が急激に広がる離陸の段階を迎えます。その時、社会起業家はマネジメントにつまずくことになります。だれもやったことがない分野の仕事なわけですから、参考にすぺきものが見つからなくなるのです。86年からアショカぱブラジルでフェローの支援を始めていますが、数年すると、多くのブラジル人のフェローがこの段階に達しました。そこで彼らはアショカを代表してマッキンゼーのブラジル・オフィスに集まり、協働することにしたのです。

マッキンゼーはオフィスに、アショカ支援部をつくり、問題の解決に当たらせたのです。この問題は、ビジネスと社会の両方が理解できないと解決できません。多くの国で社会セクターは、経済の中でも最も拡大しているセクターになっています。企業、政府、NPO(非営利組織)などの境界もあいまいになりつつありました。マッキンゼーにとっては、企業と杜会をつなぎ合わせる方法を学ぷことは意味があることでした。いままでにない学習機会ととらえ、パートナーが直接関わったのです。アショカがマッキンゼーに連れていくクライアントは彼らがそれまでつき合ったことがない相手です。ただし、コンサルティングは無償で行われます。社会の変化をいち早く理解できることで、相応の恩恵がマッキンゼーにももたらされているのです。この関係はブラジルで成功し、南米のほかの国へ、南アフリカヘ、ヨーロッパへと、いまもまだ広がっています。

−初期にはどういった試行錯誤があったのでしょうか。

非常にたくさんの失敗がありました。まず学んだことは、こういう仕事に取り組む人は、精神的にかなり成熟していなければならないということです。インドの最初のスタッフは26歳の女性で、人生でも成功していて、非常に性格もよかった。でも現実的ではなかったのです。代表として、成熟しているということは、まったく異なる人の人生の経緯を聞いて、真の理解をすることができなければなりません。いいアイデアとそれを実行するメカニズムを持ってくる人を見ると嬉しくなりますが、それだけでは不十分です。それらを巌しく選考することが大切です。なかには素晴らしいアイデアを持っている人もいますが、概念だけで、具体的な実行計画が未熟であったりします。やはり年齢が若いとどうしても概念的になりかちです。

インドで得た教訓は、進出に当たってスタッフを先に選ぷべきではない、ということです。まず起業家としての資質を持っていて、そうした人が我々の理念を十分に理解してアショカの活動をするということでなけれぱ、うまくいかないのです。

−日本でもアショカの活動を担う人物を探していると聞いています。2007年の秋までには、具体的な目処が立つという話も聞いていましたが、現在はどういう状況ですか。

やはり起業家的資質のある人が見つかってからの話です。そうした人をいまも探しているところです。

−フェローを選ぶプロセスは具体的にはどのようなものでしょうか。

最初は推薦から始まります。ここで、推薦者はとても重要です。若い起業家はお手本となる実績のある人物に近づいていくものですから、そうした人物からの推薦を重視します。次の段階は、選考委員会です。これはすでに社会起業家として傑出した人が5、6人と、アショカのインターナショナル・ボードからの代表一人で構成されています。選考委員会は、徹底的に集中したプロセスで、通常は二日間かかります。最初の日は、それぞれの選考委員が候補者個々に一時聞半面接をします。それはカジュアルなもので紅茶を飲みながらやっています。二日目は、一つの部屋にすべての選考委員が集まり、すべての候補者がそこでお互いに自分の仕事を紹介し合います。そのあと、選考委員が各候補者について三段階で評価します。その結果を委員会で話し合い、候補者はその分野で本当に社会を変えることができるのか、判断します。

選考の墓準となるものほ4つあります。まず、目的設定や問題解決における創造性です。そして、起業家にふさわしい性格かどうかということ。さらに、アイデアの中身に実現性があるかどうか、倫理観があるかどうか、という観点も重視されます。最終的な候補者は満場一致で選ばれなけれぱなりません。それから理事会にバトンタッチされます。理事会もかなり議論しますが、その段階では、選考委員会の決定を覆す要素を見つけ出すのはかなり難しいものとなっています。

以前はこのプロセスで選考していましたが、いまは、選考委員会の前に「セカンド・オピニオン・レビュー」を付け加えるようになりました。そこでは、候補者とは別の国のアショカのシニア・スタッフが、5〜8時間面接をします。本当にその個人の新しいアイデアが実行できるものであるかどうか、見極めるためです。ふだんから知っている人や、知っている人に紹介された人が候補者であると情が移りますから、どうしても合格させたいと思います。その感情を排するというのが、この段階がつけ加えられた理由です。

共感力のない起業家は成功しない

−アショカでは、フェローを選ぶ基準として、倫理観を強調していますが、それはなぜですか。

社会起業家に重要なことは倫理観が強力であるということです。倫理観は、社会がばらばらにならないようにつなぎ止めるものです。それがない社会起業家は成功しません。アショカの原則で重要なことは、共感を強めることです。世界の人口の25〜30%は社会の辺縁にいます。共感できる倫理観がなければ、この人々はばらばらになってしまうのです。人々は共感のスキルを身につけなければなりません。

我々のフェローの一人に、カナダ人のメアリー・ゴードンという女性がいます。彼女は「ルーツ・オブ・エンパシー」(www.rootsofempathy.org)という組織を96年から運営しています。彼女が取り組んでいるのは、幼稚園、小学校や中学校のいじめ問題です。お互いに交わることができない子どもが急増しています。いじめの原因は、共感できない子どもが急増していることにあると、彼女は考えました。攻撃的にしか反応できない子どもが増えているからです。そういう子どもが多い学校は機能しません。幼稚園の教師だった彼女はこれを自分の生徒の問題としてではなく、もっと大きな問題としてとらえました。

彼女はそういう問題がある学校に、毎月1時間、8ヶ月間与えてほしいといいます。その一時間に、母親と一歳の子どもを教室に連れていきます。それとグリーンの毛布です。そこに赤ちゃんを置いて、母親はその赤ちゃんを「教授」と呼びます。そして、教室にいる生徒に、「教授」が何を話しているか、何を感じているかを、記入するように言うのです。一歳の赤ちゃんの非言語能力は豊かなものです。やがて言葉もしゃべり始める時期です。最初は戸惑っていた生徒も、月日が経つにつれて、赤ちやんが何を考えているのかわかるようになるのです。

これを8ヶ月続けると学校が変わります。我々は4年前に彼女をアショカ・フェローに選びました。彼女が取り組んだのは、最初は幼稚園の二つのクラスでしたが、いまやカナダ全体の2000校以上で行われています。さらに、彼女のプログラムはオーストラリアやニュージーランドでも採用されはじめ、世界的な広がりを始めています。日本政府とも話したと聞いていますが、日本では採用されなかったようです。

メアリーの方法は、学校をよりよくし、教師の日々の生活もよくし、親も喜び、家でも子どもとの摩擦が少なくなります。これは、すべての関係者にとって大きな勝利です。

彼女はシンプルで効果のあるプログラムを編み出したのです。この方法で、すべての子どもは共感することを覚えます。そして、世界の責任ある市民になるのです。

いま世界中に500人ほどのフェローがいますが、みんな大きな構造変化を起こしています。自分たちがやっていることを信じることが、それを可能にしているのです。


謝辞:本インタビューの一部は、2007年11月に五井平和賞授賞式出席のために来日した際に行われた。初来日にもかかわらず、日本滞在時間1日弱というなかで、貴重な時間を都合していただいた、ドレイトン氏、ならびに五井平和財団に、末筆ながら、ここに感謝の意を表したい。

 
 
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