原潜グリーンビル・同乗民間人が告白1時間
「モニターのえひめ丸は急速に沈んでいった」
(週刊ポスト 2001年3月16日号)

米原潜『グリーンビル』で体験航海していた民間人16人は実習船『えひめ丸』が沈んでいく映像をモニターで見た。「その瞬間、私たちは祈り始めました」。民聞人たちは事故の後、「事件の一部になりたくない」と、メディアに沈黙を守ることを合意した。彼らこそ悲劇の数少ない目撃者でもある。本誌の再三の要請に、一人の同乗民問人が重い口を開け、静かに、衝撃的に、事故の全容を語った。


事故がもたらした厳粛な事実に対して、被害者も、加害者も、そして目の前に起きた悲劇を目撃した原潜に同乗していた民間人たちも、まさしく三者三様に「残忍な記憶」を心に重く沈殿させている。
米政府特使として来日したウイリアム・ファロン海軍作戦副部長は、森喜朗首相に正式に謝罪しブッシュ大統領の親書を手渡した。その後、行方不明となっている実習生の家族の代表と会い、謝罪した。
当面の焦点は、沈没したえひめ丸を引き揚げることにあり、日米双方が協力していくことが確認されている。
その一方で、グリーンビルがどうして衝突事故を起こしたかの真相究明は決して順調に進んでいるとはいえず、被害者側の苛立ちは募っている。
真相解明のためには、スコット・ワドル艦長(事故後更迭)以下、原潜クルー(乗組員)たちだけでなく、16人の民間人が自らの目で見、聞き、知ったことを正直に証言することが望まれる。
その意味で、本誌のインタビューに応じた民間人が語った一部始終は、事故の知られざる数多くの事実を提供してくれている。なお、本人の強い希望により、性別、職業、インタビューの場所、日時は伏せる。

●事故前夜 『潜水艦ツアー』 ハワイでゴルフ

『グリーンビル』への乗艦については昨年の10月に知人から誘いを受けました。私たちは彼と仕事上の付き合いがあったので打診されたのだと思います。彼には海軍関係者とのコネクションがあったことから話が持ち込まれたようでした。軍の施設などを民間人が見学するツアーがあることは知っていましたし、一生に一度あるかないかのことですから二つ返事で参加の意思を伝えました。ハワイヘの旅費や滞在費は負担しなければいけませんでしたが、体験航海そのものには、一切お金は必要ないとのことでした。
体験航海は、その名も『Submarine tour (潜水艦ツアー)』と名付けられていました。納税者に潜水艦がどういうことをやっているのかを見せるためのツアーで、市民権を持ったアメリカ国民であれば特に参加の制限はなかった。今年1月には海軍広報の挨拶とともに、乗艦の際の注意事項が送られてきました。潜水艦の中には立ち入り禁止区域があることや、どこに動くにもクルーの案内が必要なことなどがこと細かに書かれていました。パッケージに含まれていたのは潜水艦の見学とゴルフ。2月7日の水曜日にハワイに入って翌日にゴルフ、9日に体験航海を行なって、事故が起きなければ週末は再びゴルフをして、12日に現地で解散、帰途に着く予定となっていました。
ハワイに入ったのは7日の午後です。その日は特にスケジュールは入っておらず、おのおのホテルで疲れを癒しました。翌目は16人の民間人全員でゴルフをやって親睦を深めた。もともと夫婦連れが多く、口伝てに参加者を募っていたこともありそれぞれ数組のグループはあったのですが、ここで皆が一堂に会して知り合った。ゴルフそのものは和気あいあいと大変楽しいものでした。

●その日の朝 早朝パールハーバーヘ アルコールは禁止

体験航海の当日はラッシュアワーを避けるため、朝6時ごろにホテルを出てパールハーバーに向かいました。8時になるとドックに広報担当者が現われて、「潜水艦に関心を持ってくれてありがとう。これはあなたたちの税金でまかなわれているものだから、あなたたちのものです」と挨拶。後にスコット・ワドル艦長が注意事項をあらためて述べ、体験航海のスケジュールについて説明を始めました。
航海は昼食をはさんで大体4〜5時間の予定で、各セクションの見学や機器の説明をすることになっていました。ただ当時、艦長は緊急浮上をやるとはいわなかった。注意事項に関しては、なぜそこが立ち入り禁止になっているのか、その理由についてまで詳
しく説明されましたし、アルコールについては一切禁止だと厳命されました。ですが、浮上に関しては一言も触れられなかった。
実際に潜水艦に乗り込んでからは5つのデッキのうち3つを案内されました。潜水艦の中は想像以上にうるさくて、クルーから少しでも離れると声は聞こえなかった。

●興奮の原潜内部 徹底的な監視の中 潜望鏡に感嘆

彼らの説明は極めてプロフェッショナルで、明快。それを聞いているのは刺激的でしたし楽しかった。私たちは皆敬意を持って彼らの言葉に耳を傾けていました。しかし、女性がトイレに行く際にも必ず監視がつくほど、民間人の行動については管理されてい
ました。ドアノブでさえ勝手に触るのは禁止されていた。
お昼になると2つのグループに分かれて昼食をとりました。45分くらいかけたと記憶しています。出たのは魚と野菜。民間人の一部からは、「どうしてもアルコールは駄目なのか」との声も漏れましたが、クルーはキッパリと断わっていました。
潜望鏡は16人全員にのぞくチャンスが与えられました。2つのハンドルを持って回転したり高さを変えたり、様々な操作を説明してもらいました。私たちは皆興味深くそれをのぞき込み、その映像の鮮明さに、口々に感嘆の声をあげていました。潜望鏡の使い
方の他には、潜水の原理や、操舵の仕組みなどにつ.いてもレクチャーを受けました。

●緊急浮上@ 45分前に操舵室へ 艦長がアナウンス

民間人全員が操舵室に揃って案内されたのは事故が起こる45分ほど前のことです。「これから本日の最終プログラムに入ります」との説明がありました。そして艦長が、「緊急浮上を行ないます」と、アナウンスしました。
ここで初めて私たちは緊急浮上が行なわれることを知ったのです、緊急浮上があらかじめ予定されていたものなのか、あるいは突発的に決められたものなのかは、いまもってわかりません。ただ、艦長の命令に従って機敏に動くクルーたちの様子からは、特別なことが急に決まったというような緊迫した雰囲気はなかった。恐らく民間人を乗せた場合には同様に何度も繰り返されていたことなのでしょう。
緊急浮上のアナウンスが流れて間もなく、2人のクルーが2回ずつ潜望鏡で海上を確認しました。最後に艦長が2回、360度見回して「オールクリア」と声をあげました。艦長は数分かけて丹念に確認をしたように見えた。民間人はお亙いに話をすることもな
く、真剣に一連の行動を眺めていました。そのときの印象からすれば、艦長がえひめ丸の船影に気付いていたとはやはり思えません。

●緊急浮上A 民間人がレバー操作 会話は一切禁止

その後艦長は、ジョン・ホール氏(事故後に米テレビ局NBCの取材に応じた民聞人の一人)に声をかけ、「(浮上用の)レバーを握ってみないか」と誘いました。艦内の雰囲気はとても集中していました。艦長はレパーのロックの状態を確認した上で、自分の
左側にホール氏を立たせ、レバーを引くように指示した。艦長は同時に他のクルーに対しても大声で指示を送っていました。クルーたちはそれに叫ぶような声で応え、緊張感は高まりました。緊急浮上の間、一切の会話は禁止されました。
艦長の最終的な指示でホール氏がレバーを引いてから1分ほどすると、はっきりと体感できるほど艦体が傾き、浮上が始まりました。私たちは立ったまま何かに掴まるよう指示されていたので、そうしていました。急激に上下左右に揺れることはありませんで
したが、機器の騒音は大きくなりました。浮上そのものは大変スムーズでした。あえていえば、斜めになった高層ビルのエレベーターに乗っている感じに近かった。

●その瞬間、そして祈り ドラム缶を叩く音 「船が沈んでいく」

浮上を始めてから5分ほどたったころです。ドラム缶をバットで思い切り叩いたような音が響き渡りました。艦長は、「Jesus, what the hell was that ? (一体あれは何だ)」と叫んだ。私たちは船にぶつかったとは思いもよらず、何か機械が故障したのかと思
った。衝撃もそれほど大きくはなかったのです。
艦長はすぐに潜望鏡を上げるように命令しました。そして間もなく、不吉な予感は悪夢に変わりました。操舵室の前方には80センチ四方の、右側面には30センチ四方のモニターがあり、潜望鏡の映す映像が見えるようになっていたのですが、それらにはえひめ丸らしき船体がかなりの勢いで沈んでいくのがはっきりと映っていたのです。
その瞬間、私たちは祈り始めました。
時間にして1分もしないうちに、えひめ丸は海上から姿を消しました。民間人の間からは悲鳴があがり、操舵室にはクルーたち.の怒号にも似たやりとりが溢れました。

●救助活動の真相 医師とダイバーが待機 モニターに人影なし

艦長はすぐに沿岸警備隊に連絡をとっていました。「連絡がとれた」と叫んでいたことも覚えています。艦内では海軍の医師や2名いたダイパーがハッチに移動し、救出の準備に入りました。しかし、モニターに人影が映っていなかった。艦長は迷うことなくこう指示しました。「人間が見えなかったら、これ以上命を落とさないためにも(海には)入るな」
事故の直後、目本側からは潜水艦が救出活動を行なわなかったことに対して非難する声が出ましたが、準備は整えていたのです。実際に救出を行なわなかったのは、艦長の判断によるものだったのです。

●混乱のその後 「日本語がわかる人は?」 クルーが怠った義務

私たち民間人は、事故発生後、すぐに食堂に通されました。私たちはただ祈り続けるしかなかった。他に何もできませんでした。「ゲストの中で誰か日本語が話せる人はいないか。救命ボートにいる(えひめ丸の)乗組員とコミュニケートするのにひどく苦労している」と、艦長はいっていましたが、あいにく日本語がわかる人はいませんでした。
クルーたちは誰もが混乱しているようでした。艦長はクルーに向かって、「落ち着け。君たちは訓練を受けてきたのだからいかなるときもプロフェッショナルであれ。この事故については真実を語れ。決して脚色するな」そう繰り返していました。
潜水艦から降りたのは明朝の9時半のことです。クルーたちは懸命に平静を保とうとしていましたが、その実、誰もがまだ混乱していました。
しかし、振り返ってみれば事故を防ぐ手立てはいくらでもあった。1時間前の段階でソナー・マン(水中音渡探知機担当官)がえひめ丸の存在を知らせていたら、私たちが邪魔であったのならそうはっきりと伝えてくれれば……。
米国家運輸安全委員会(NTSB)によれば、事故の71分前にはソナー・マンが、えひめ丸の存在を確認していたようですが、そんなことは私たちはもちろん、大多数のクルーも知っていた様子はありませんでした。
また、クルーのひとりが「民間人が邪魔になって航跡図を書けなかった」と証言していることに関しては、大いに疑問があります。確かに操舵室は広いスペースではありませんが、私たちがいたときも身動きが出来ないほど混雑していたわけではなく、普通にクルーの行き来はできる状態でした。実際室内後方では10代後半から20代前半と見られるクルーが航跡図を書いてもいた。彼は私たちに対して一度たりとも邪魔だと声をあげてはいません。報道でも、民間人の存在が事故を引き起こしたとする論調が多数を占めていますが、私たちは、別に規定に違反したわけでもクルーの命令に従わなかったわけでもないのです。
2人のクルーと艦長が少なくとも6回、潜望鏡で確認しているのです。NTSBの調査では、最後に艦長が潜望鏡で周辺の海域を確認したときも、ソナー・マンのひとりは、えひめ丸と思われる船が約1.8キロの距離にまで迫っていると分析しながら、艦長が安全確認をしてOKを出したため、自分の計算が間違っていると解釈し、独断でえひめ丸との距離を約8キロに修正して警告を発しなかったといいます。どうして彼は一言発することができなかったのか。少なくとも私の目から見て、艦長やクルーが明らかに散漫な
態度をとっていたわけではありませんでした。けれど結果的には注意義務を怠ったことにかわりはない。彼らは真摯に自らの非を悔いていると思いますが無念でなりません。
そして私たちも9人の行方不明者の方々やその家族のことを考えるとこれ以上ない深い悲しみを覚えます。あまりにも残忍な記憶です・・・。
 
 
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