英国人記者が告白
「8時間殴られ続けて死を覚悟した」

(週刊ポスト 2004年4月30日号)


バグダッドで取材を続けるファレル記者
(撮影/テリー・ベンギレ)
日本人3人が拉致される前日の4月6日の午後、ファルージャ市近郊のほぼ同じ場所で、英「ザ・タイムズ」紙のイラク特派員、スティーブン・ファレル記者(42)が武装勢力に拉致、監禁された。8時間後、命からがら脱出したファレル記者を直撃。“恐怖の時間”を次のように語った。

−拉致された状況は?


「突然、ダダダダダッツ−という凄まじい衝撃音。ヒョウのように無数の銃弾が車の屋根やフロントガラスに撃ち込まれた。タイヤも撃たれ、逃げる間もなく、私が運転していた防弾仕様のベンツは、15〜16人の武装した覆面の男たちに囲まれてしまった。
 すぐに、ロケットランチャーを肩にかついだ男が、ドアから進入してきて、無理やり車から引きずり出された。
 4〜5人の男に囲まれ、殴る、蹴るの容赦ない暴行。それに、頭突きを何度もくらい、意識がもうろうとしてくる。殴るのが止んだと思ったら、今度はナイフを喉に突きつけてくる。ひやりとした刃の感触に生きた心地がしなかった。
 アラビア語で“我々はジャーナリストだ”と訴えたが、聞き入れられなかった。同行の米国人女性記者に向かって、“あなたは女性だから殺さない。しかし彼は終わりだ”と。暴行は数十分続いただろうか。ただし、それは単なるジャブにしか過ぎなかった。すぐに、2人とも別の車に押し込まれたのだ」

−連れていかれた場所は?

「20分ほど走り、民家らしき建物の前で止まった。そこに現れたのは、全身黒装束で“ムジャヒディン(イスラム戦士)”を名乗る男たち。後からわかったのだが、最初に襲ってきた連中は盗賊で、金目のものがないとわかって、私たちを引き渡したらしい。そこからがまた地獄だった。
 彼らの手で、近くに家に監禁された。立派な平屋の家屋で、20〜30人は入れる15メートル×5メートルほどの広さ。窓はなく、暗い部屋で、ただ、本棚には宗教関係の本がたくさんあったのを覚えている。椅子に座ること、トイレに行くことは許されたが、ずっと兵士が銃を構えてついてきた」

−監禁中の様子は?

「アブ・ムジャヒドと名乗るボスが現われ、義足を見せ、”アメリカ人にやられた”と憎々しげに語った。そして“お前はスパイか?”と尋問が始まった。盗賊に比べれば紳士的だったが、ちょっとでも言いよどんだり、反抗的な態度をとると素手、時には銃身でむちゃくちゃに殴ってくる。優しくしたかと思えば、次の瞬間は怒鳴り、殴るといった感じの尋問が延々と続いた。何度も目から火花が飛び散り、必死に“サファーフィ”(ジャーナリスト)と連呼した」

弾痕の残る車(撮影/テリー・ベンギレー)
−なぜスパイと疑われた?

「僕は短髪だから、軍人だと思われたようだ。彼らからは、“焼き殺されて吊るされたアメリカ人はスパイだった。お前も同じ目にあわせてやる”と脅され、さらに殴られ続けた。
 必死に、軍人だから短いんじゃなくて、ハゲたんだ、と説明して昔の写真を見せたらようやく納得してくれた」

−ボスは何をいっていたか?

「“アメリカ人がイラクを攻撃するのは石油が欲しいからだ。民主主義とは国民を殺すことなのか?イラクの置かれた状況を正しく伝えろ”などと繰り返していた」

−いつ解放されたか?

「尋問を受け続け、ようやく疑いが晴れたのは8時間後の午後10時。アジトを特定されないようにだろう、目隠しをして、どこかに連れて行かれたが、そこには我々が乗っていたベンツがあった」

−日本人を拉致したグループとの関連は?

「日本人については何も話していなかったが、拉致された場所がほとんど同じなので、犯人は同じグループだろう。
 もし盗賊に捕まっただけならお金で解決できるが、2番目のグループは非常に知的であり、日本の政治的立場も熟知しているはずだ。
 政治的な駆け引きを要求してくるし、彼らに捕まったのだろう」

 
 
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