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| AERA 2000年6月19日号 |
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ジョン・ダワー
日本の戦後にピューリッツアー賞
絶賛された「第1」の敗戦
日本人は、あの敗戦をどう受け入れたか−−。
吉田茂研究などで知られるMIT教授が日本の戦後を斬った。
米国では受賞ラッシュの、その著者にインタビューした。
Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War U.
『敗北を積極的に受け入れる』と題して、敗戦後数年間の日本社会を描いた書がこの四月、ピュリツァー賞の文芸ノンフィクション部門を受賞した。
著したのはマサチューセッツエ科大学(MIT)のジョン・ダワー教授。アメリカの占領下にある日本を、トップレベルの人の観点からだけではなく、社会のすべての層に光をあて、敗戦がどのように一般市氏に受け入れられたかを生き生きと描いている。戦後の天皇制や戦重責任について、さらには敗戦後日本がどのように立ち直ろうとしたのか……が、注釈を除いて五百六十四ぺージにわたって記されている。
20歳の時ホームステイ
ピュリツァー賞に次いで権威のある全米ブック賞を始め、計九つの賞を受賞した。しかも、歴史、ノンフィクション、アメリカ外交史など分野も多岐にわたっている。リサーチと執筆に十三年もかけただけのことは十分ある。
ダワー氏は一九三八年、米国最小の州であるロードアイランド州で生まれた。「日本にはまったく関係のない家庭環境」で育った。
日本を初めて訪れたのは二十歳のとき。アマースト大学の三年生と四年生の間の夏休みだった。世界各地に学生を送るホームステイプログラムに参加し、そこで「果てしもなく遠くて、何となく関心があった」日本を目指した。暮らしたのは金沢市。伝統的で、戦争に破壊されなかった町として選んだという(ここで知り合った靖子さんと五年後に結婚することになる)。
大学での専攻はアメリカ文学で、帰国後は軍隊にも入っている。ところが、ベトナム戦争をきっかけに、関心の的は戦争と平和に移っていく。金沢に戻り、女子短大で英語を教えたが、反戦運動に学生を動員するほど熱くなった。そのうち戦前-戦後の日本に目を向けるようになったのは自然の成り行きだった。戦後日米関係の中心人物である吉田茂を研究(日本語訳も出ている)。MITに移る前はウィスコンシン大やカリフォルニア大学サンデイエゴ校で日本史を講義した。
「映画のような語り口」
そんなダワー氏の今回の著作について、日本近代史の専門家であるコロンビア大学のキャロル・グラック教授はこう評する。「戦後の占領下日本の精神を映画のような語り口でとらえ、その時代を生き返らせた。まさに叙事詩的な本だ」
ダワー氏はハーバード大学で博士号を取っており、そこのエドウィン・ライシャワー日本研究所のアンドルー・ゴードン所長も、「準備に長期間かかったが、この著書は待つだけの価値はあった。ダワーのリサーチはとてつもなく深くて幅が広い」と賞賛する。
もともとアメリカでは九九年四月に出版されているが、その前年にフランクフルトで開かれたブックフェアで、未出版段階のこの著書を偶然発見した岩波書店の小島潔氏は、「戦後のアンビバレント(両面価値的)な日本を深く、鋭く描いている。日本語で出す価値は十分ある。どうしても翻訳したかった」と、翻訳化に意欲を見せる。ダワー氏も「この本は学術書ではなく、できるだけ多くの人に読んでほしい」と語っている。
筆者のインタビューに対してダワー氏は、日本に関するアメリカの報道は非常に貧弱だと痛烈に批判した。だからこそ、今回の本は各界から認められたのではないかと誇ってみせる。「アメリカ人はとかく日本を単一民族として一般化しがちだ。しかし、日本は非常に複雑な国だ。この本がアメリカのメディアに影響して少しでも見方が変わればいいと思う」
さて、今の日本は「第二の敗戦」とも言われるどん底状態にある。これをどう思うか聞くと、「日本は、かつてナンバーワンであると錯覚した時期があったが、正気の沙汰ではない。理想を失った今の日本にアメリカがまったく同情しないのは、当時の傲岸不遜な態度が原因だろう」
ピュリツァー賞受賞者は鋭く指摘した。
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