ポール・クルーグマン/Paul R. Krugman
特別企画 「オバマの米国」は立ち直るか
オバマノミクスに期待する
いまこそ日本の「失われた10年」に学べ

(月刊Voice 2009年2月号)


2008年度のノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のポール・クルーグマン教授は、専門領域だけではなく、『ニューヨーク・タィムズ』の舌鋒鋭きコラムニストとして、功成り名を遂げた論客である。ブッシュ政権を批判しつづけたクルーグマン氏だが、次期大統領に就任するオバマについては「クールで思慮深く、冷静で、頭脳も明蜥」という。リーマン・ブラザーズを破綻させたのは大失策、と語る氏は、総額91兆円ともいわれるオバマノミクスをどう評価しているのか。大減速するアメリカ経済、そレて世界経済の行方について、今世紀を代表する経済学者はいま、どのような視点をもっているのだろうか。ストックホルムでノーベル賞授賞式に出席され、帰国したばかりのクルーグマン氏に会うために渡米し、マンハッタンの自宅で独占インタビューを行なった。


ビッグ・スリーは生き残れない

− 昨年12月19日、アメリカ政府は自動車大手3社(ビッグ・スリー)のGMとクライスラーに対し、174億ドル(約1兆5400億円)の緊急融資を発表しました。同じく12月7日、ノーベル賞授賞式出席のために訪れたストックホルムで、アメリカの自動車産業は「消滅する可能性がある」といわれましたね。

クルーグマン アメリカ産業の歴史的、地理的なバターンはデトロイトに固まっていますが、長い目でみれぱ生き残れない、という意味です。しかし少なくとも何を救済できるかを見極められるまで、融資は行なったほうがよい。

− 自動車産業をはじめ、これからアメリカの基幹産業はどうなるでしょうか。

クルーグマン あらゆるものが落ち込んで縮小しています。とくに自動車産業は急速に縮んでいる。これからアメリカは輸出を増やして輪入を滅らすでしょうから将来的にどうなるかわかりませんが、ビッグ・スリーのお膝元であるデトロイトではなく、重力の中心は現在とは異なる産業になるでしょう。アメリカ南部に基点を置く日本やヨーロッバの企業が活躍すると思います。

− 具体的には何が経済の牽引役になりますか。

クルーグマン 自動車に関していえぱ、こんなクルマに乗りたい、と誰もが思うようなものが必要とされるでしょう。ドルか弱くなっていることが助けになると思います。将来的にみれぱ、ドル安はそれほど痛手ではありません。

− アメリカは実質的なゼロ金利政策を行ないました。

クルーグマン 下方スパイラルを避けるために、できることはすべて行なう必要があります。いまわれわれが置かれているのは10年前の日本と同じような状態です。あのときよりも格段に早く事が進んでいますが、日本の経験から学んだことを行ない、さらにほ日本よりも優れたやり方で実施する必要がある。

− バーナンキ率いるFRB(連邦準備制度理事会)の手法をどうご覧になっていますか。グリーンスバンに劣らず最悪、という人もいます。

クルーグマン グリーンスバンのときとは状況がまったく違います。グリーンスパンは経済か強いときにバプルを助長しました。バーナンキは経済が弱いときにクレジットを拡大し、それを強化するためにあらゆる手段をとっている。いまのところ、頑張っているといっていいでしょう。彼か犯した失敗は、リーマン・ブラザーズを破綻させたことです。もちろん彼一人の責任ではありませんが、これはひどい失策でした。これでますます経済の立て直しが難しくなったのです。リーマン破綻によって、ペシミストが思っている以上に金融危機からの脱却は難しくなりました。

− リーマン破綻はオバマにとってブラスに作用したのでしょうか。

クルーグマン 大いにそうですね。アメリカ経済には問題があるということを確信させた、ということではなく、その対応が非常に優れたものだった、という意味です。危機下において、知性があり、思慮深く、冷静で、バニックにならない印象を与えました。その点、マケインの対応は非常に悪かった。当初は「すぺてのことは大丈夫だ」といい、その後、突然「選拳運動を中止しなけれぱならない」と考えをコロコロ変えました。リーマン破綻が市場を凍結させた目の前で、そのコントラストは大いにオバマに有利な方向へ作用したのです。


「規模よりスビード」が景気刺激策の要

− オバマは「アメリカを変えよう」と言い続けましたがが、オバマ政権になって何が変わると思いますか。

クルーグマン さまざまな要素に左右されますが、社会問題、とくに医療問題についてはかなり左に頼くでしょう。経済についても政府が時には重要な役割をするということをあらためて理解させられると思います。彼が何をどれだけ達成できるかによりますが、根本的な部分で何かが変わると思っている人は考えすぎかもしれません。何をいっても、ある意味で「アメリカはアメリカ」です。同じ国なのです。

しかしそうはいっても、今回の危機が一般国民のアメリカ観を変えるほどのものであることも確かです。さらには、われわれ自身がアフリカ系アメリカ人を大統領に選んだという驚嘆すぺき事実が重要です。これはアメリカでの人種的分裂に大きな希望を与えるでしょう。人種差別がなくなるということではなく、われわれ自身に対する認識に問違いなく大きな変化を与えるということです。

− オバマのパーソナリティをどう見ていますか。

クルーグマン クールで思慮深く、頭脳も明断です。インスピレーショソに優れていて、それを皆が信用するようになりました。正しい方向に導いてくれると確信するようになったのです。情熱的な男ではないともいわれますが、静かな情熱家ではないでしょうか。情熱は内に秘めているのです。ホワイトハウスにいた人で、おそらくケネディ以来、もっとも知性のある人でしょう。

− その経済政策はどんなものになりますか。

クルーグマン 現時点ではケインズ的なものが予想されますね。しかし重要なことは、その経済政策を十分理解できるほど、オバマは頭がよいということです。さらにはブレインとして、経済の專門家を多数擁している。

− 彼は91兆円の景気刺激策を唱えていますね。どのように評価されますか。

クルーグマン それで十分であることを願っています。いま直面している大問題は、経済が今年も来年も非常に弱くなっていくということです。私が試算したところでは、失業率を1%削り取るには1000億ドルが必要になる。このまま行けぱ2009年末ごろまでには、失業率は9%、いや10%まで上がるでしょう。91兆円はその相殺のための投資ということになりますが、いま考えるぺきはいくら必要か、ではなく、いかに早く起動させるかです。ひどいスランプを避けるために、とにかく急いで行動しなければならない。あらゆる人が規模ではなく、そのスピードを懸念しています。結果的に莫大なお金を使うことにはなりますが、その方向は正しいでしょう。

− 巷間、「ニュー・ニューデイール政策」が語られています。

クルーグマン 景気後退と戦うための政府の積極的な役割は、セーフティーネットを拡大することです。1930年代は、社会保障、失業保険、給料を上昇させるための交渉がサポートされ、労組運動が大きく拡大し、収入の不平等がかなり滅少しました。そういう変化をオパマ政権で見てみたい。社会保障が70年前に社会にもたらした役割を、これからは医療制度に果たしてもらいたいと思ってているのです。景気刺激策は少なくともアメリカにおける不平等を減少させるでしょう。

− 大統領選時、オバマが提示した「国民健廉保険制度」を批判されましたね。

クルーグマン 彼の案には「穴」があります。基本的なアウトラインはできていますが、最終的には保険の義務化になるでしょう。もし過去の病歴に関係なく、皆か同じレートで保険に入れるとなれぱ、若い人は病気になるまで待ってから入りますから、ほかの人の保険金も上がることになる。実際に彼がそれを実行するまで、批判は行ないません。

− オバマは保護主義に戻るともいわれています。

クルークマン 皆がそのことを懸念しています、その問題は、アメリカが保護主義に戻れぱ他国もそうなるということで、その代償はとても大きく、危険です。オパマ政権は新しい重要な貿易協定を結ぶことはしないでしょう。政治的な意味を見出せないからです。ただし、そこから後ずさりすることもない。オバマ政権の人物たちは国際強力、国際協定の力を信じています。協定を破ってま国際際間におけるやり方全体の土台を壊すことはしません。

労働運動の視点から保護主義を正当化する考えもあります。貿易協定によって彼らはかなり痛めつけられましたからね。しかしだからといって、ここで関税を上げはじめることはないと思います。

− そういう点で、これから日米関係、米中関係はどう変わっていくのでしょうか。

クルーグマン 経済面からみれぱ、日本はもはや摩擦の中心点ではありません、中国のほうがむしろそうなっています。しかし、いまはどの国も危機状態です。日本経済もリセッションに入ったし、中国経済も成長スピードがかなり落ちました。政治面ではアフガニスタンとパキスタンとの関係が重要になるでしょう。


投資銀行のモデルはすべて間違っていた

− 今回の危機は1930年代の世界恐慌に類似している、と指摘されました。

クルーグマン かつての大恐慌は株式市場の暴落から始まりましたが、それよりも銀行システムの崩壊が大きな問題でした。翻って現在は、従来の銀行は保護され、破綻はしていませんが、銀行の機能を追求した他の機関は壊滅状態です。ヘッジファンド、投資銀行など「陰のバンキング・システム」と呼ぱれたものはほとんど破綻してしまった。言い方を換えれば、従来の銀行が行なうべき多くのことを証券化か担ったのです。機能的にみれぱ、1930〜1931年に起こったこととそれは同じでした。今回の危機は21世紀版のハイテク金融破綻なのです。

− 証券化自体は悪くない、と。

クルーグマン 恐らくやりすぎたのでしょう。証券化は、最初の貸し手の側にモラルハザードを引き起こす問題があります。統計的モデルにも過剰依存する。われわれが目撃したのは、その統計的モデルがすぺて間違っていたということです。借り手が現実的に払えるかどうかを考慮しないで莫大な貸し付けを行なった、つまりは自ら問題を引き起こしたのです。もちろんきちんとした証券化もありますが、明らかに行きすぎたことは確かです。

− 投資銀行は役割を終えたのでしょうか。

クルーグマン 終えたとまではいいませんが、その役割はかなり縮小されました。あれほど膨大なお金を儲けていた人がいま何をしているか、問わずにはいられません。彼らが行なったことは本当に生産的なことだったか。現時点での判決は「ノー」です。もし経済が回復したあとでも、金融部門はかなり縮小されるでしょう。

− 現在は、そういう人たちができるかぎりのお金を取って逃げ出した状況ですね。

クルーグマン ナスダック元会長が500億ドルを横領したというニュースがありました。基本的にはPonzi scheme(ねずみ講)ですが、当人はそれが詐欺であることをわかっていたけれど、他の人は知らなかったということです。空想を抱いてそれに基づきながら儲けていた。500億ドルという金額は本当にショックです。


アメリカ版「失われた10年」を避けられるか

− この危機は10年以内に収束するのでしょうか。

クルーグマン そう願います。いまそのことが大論争になっています。景気刺激策のあと、経済はどうなるか。回復の維持はどこから来るか。簡単にいえることではありません。アメリカの貿易赤字を縮小させることは助けにはなりますが、アメリカの貿易赤字は他国の貿易黒字です。その国への影響はどうなるのか。現実にはグローバルな調整という問題が出てくるでしょう。

先ほども述ぺましたが、いまアメリカは日本の「失われた10年」を回避しようとしています。日本でその「10年」が起こったのは誤解があったからです。あまり知られた事実ではありませんが、私が教鞭を執るプリンストン大学のなかに経済学者のグループがあって、10年ほど前に日本の「失われた10年」について懸念し、どうやってこの事態を避けられるかが研究されました。一人はすでにスウェーデンに戻ったラルス・スペンソン教授、もう一人は現コロンピア大学のマイケル・ウッドフォード教授、もう一人がベン・バーナンキです。いまFRBを運営しているのは、日本について悩んだ人たちなのです。

− ストックホルムでも「日本の経験に学ぺ」といわれましたね。

クルーグマン FRBは長きにわたって日本の「失われた10年」に取りつかれていました。ほとんどのアメリカ人はそれを忘れていた、つまり日本がうまく事を進めていないことがわかると関心を失ってしまったのですが、FRBはその関心を捨てまぜんでした。

彼らか日本の経験から学んだこと、それはスランプが起きたとき、初期段階でかなり強引に対処しなけれぱならない、ということです。その教訓に従ってITパブルが崩壊した2001年にFRBは行動し、今回もそうしようとしている。日本が大量の抗生物質を投与していれば、つまり財政上、基本的な金融上の刺激策を行なっていれぱ、「失われた10年」を避けることができたかもしれない、というのが彼らの分析であり、結論なのです。

とはいえ、いま起こっていることは、そのすぺてを強引にやったとしても、まだまだ恐ろしい状態が続くだろうということです。彼らが考えた以上に経済を好転させることは難しいということがわかりつつあります。この一年ではっきりしたのは、われわれは90年代に日本の政策に対し、あまりに手厳しかったということでしょう。

− イギリスのブラウン首相の対応を評価されていますね。

クルーグマン 彼の銀行危機に対する対応ほ、われわれがとったものよりはるかに優れたものでした。ポールソン財務長官の行動は、まったく意味をなさなかった。彼は何とかして政府所有を避けようとしたのです。ブラウンの行動は単刀直入でした。つまり銀行に直接資本を投入して救済したのです。しかしいま、ブラウンは苦しんでいますね。景気刺激策をまとめようとしていますが、それはアメリカのケースよりはるかに難しい。資本市場からの制約も大きいし、支出計画を立てる部分でも苦労しています。国家聞では政策自体を模倣することはできませんが、オバマ政権の関係者からアメリカが採用する政策について聞く限り、今年から実施される景気刺激策は、イギリスのそれよりもよく見える。ただ、それはブラウンの責任ではないでしょう。アメリカのほうが行動の自由の範囲が広いだけだと思います。

− 彼はIMF(国際通貨基金)強化などを柱とする「新ブレトンウッズ体制」を提唱しています。

クルーグマン 新しいブレトンウッズ体制が必要であるとは思いません。為替相場制がこの危機の核にあるとは思わないからです。たしかにドル、ユーロ、円の変動相場か現在の金融危機で何の役割も果たしていないことは明らかですが、もし為替相場に問題があるとしても、それはヨーロッパ周辺だけに関係することです。グロ-バルな同意は必要ないでしょう。ブレトンウッズ体制自体、われわれがいま置かれた状況には関係がありません。

− イギリスは咋年11月、1.5%の大幅利下げを行ないました。日本も12月、0.2%政策金利を下げた。世界各国が利下げを行なっています。

クルーグマン もちろん、その方向は正しいと思います。しかし私が懸念しているのは、それでもまだ十分ではない、ということです。われわれが向かっているのはゼロ金利という凶暴な世界ですが、もし仮に金利をマイナス1〜2%まで下げることができるなら、それは本当に助けとなるでしょう。


間違った政策をとれば批判する

− クルーグマンさんは大学教授を務めながら『ニューヨーク・タイムズ』にコラムを執筆し、絶大な人気を集めています。ブッシュ政権に対する批判は痛烈なものでした。いま振り返って、ブッシュの最大の過ちは何だったのでしょう。

クルーグマン それはもちろん経済政策に関するものです。アメリカがここまで落ち込んだのほブッシュの責任です。

− オバマ政権についても批判的に書かれますか。

グルーグマン 政権が姶まってからそうするつもりです。先ほどの「国民健康保険制度」についてもそうですが、現在のところ、まだ批判は行なっていません。私はオバマ政権に携わっている人たちをよく知っていて、かなりの価値観を共有していますが、もし彼らが間違った方向に舵を切るならぱ、もちろん指摘し、批判します。そういったことを何度も行なってきました。

− 政府の行動を冷静に分析し、挑判すべきは批判する。警鐘を鳴らしていくことがあなたの役割ですね。

クルーグマン それが私に与えられたベストの役割です。リベラルな経済学者がオバマの側近にいるのはよいことですが、少なくとも一人くらいは政府に向かって叫ぶ経済学者がいてもよい。『ニューヨーク・タイムズ』はいわば大きなメガホンで、讐鐘を鳴らし甲斐がありますね。

− その視点はあくまで一般人の感覚ですか。

クルーグマン そのとおりです。新しい政権が始まれぱ、その途中で私をいらいらさせる政策も出てくるでしょう。そういう意味でオパマ政権がどのような船出を行なうか、注目しながら見守りたいと思っています。

 
 
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