ポール・クルーグマン/Paul R. Krugman
総力特集 大不況 突破への挑戦
日本経済・再浮上への三大戦略
世界経済を危機から救い、自らも復活せよ

ポール・クルーグマン(プリンストン大学教授)

(月刊VOICE 2009年5月号)



4%のインフレ・ターゲットを設定せよ


サブプライム危機に端を発する大不況によって、トヨタなどの大企業が報酬カット、雇用削減など厳しい状況に立たされています。しかし日本企業が短期的に清算される危険はほとんどないでしょう。

一方、私は嫌々ながら、アメリカの自動車会杜を支持しています。救済しなけれぱ、彼らは一カ月足らずで消滅してしまうからです。3月16日に大統領の作業部会の幹部か「(GMなどを)経営破綻させることが作業部会のゴールではない」と語るなど、破綻回避の選択肢がとられるようにも思えますが、時間を稼ぐのはよいアイデアでしょう。長い目で見れぱピッグ・スリーは生き残れないかもしれませんが、金融危機の真っ最中で破綻させるのはよい結果を生まないからです。

トヨタや日産は、まだピッグ・スリーのような状況に至っていません。日本政府は彼らに対して直接援助を行なうのではなく、他の手段でスランプの深さを制御すぺきでしょう。確実にいえるのは、誰かが自動車を製造しつづけるということで、そのすべてが中国に移ることはしぱらく起きそうにありません。自動車産業の動向が目下の問題であることは間違いありませんが、たとえマクロ的に世界経済が復活しなくとも、クルマは限界が来て動かなくなる時期が来る。あるいはそれが、非常に古臭く見えはじめるのです。しばらく時間はかかるでしょうが、自動車産業は再ぴ回復軌道に乗るでしょう。もちろん自分たちかノーマルと思っているところまで戻るには、何年もかがるかもしれません。

そのような状況のなかで自動車をはじめ、電機、電力などの企業が次々と定期昇給の凍結を表明しています。しかしそうすることで、景気はさらに悪化する可能性がある。ここにあるのは「合成の誤謬」です。昇給凍結や給与カットは一人ひとりを引き締めるために有効ですが、皆がそれを行なえぱ、全体として事態は悪化してしまう。デフレ傾向のいま、このような方法をとることは、日本経済にとって望ましい選択ではありません。

再び日本経済はデフレに戻る、という見立ては現実的になりつつあります。先の景気拡大時でさえ、日本は著しいインフレにはなりませんでした。インフレになりさえすれぱ問題は解決するという意見もありますが、それはほんとうに難しい。インフレ・ターゲットを設定すれぱプラスになるでしょうが、これまでは誰進んでそうしませんでしたし、できませんでした。日銀が「10年後には物価水準がいまよりも60%高くなっている」と約束すれぱ、それで問題はかなり解決するでしょう。はたして日銀はそう約束できるのか。そこでわれわれは悩んでしまうのです。

日銀はこれまで同じような間違いを繰り返してきました。1990年代の最悪の時期にもそのようなマネジメントを行ないませんでしたし、2000年8月に行なわれたゼロ金利政策の解除も明らかに時期尚早でした。なぜ日本の政策決定者は拡大を諦めるのか、疑問に思わざるをえません。日銀がもっと創造力のあるマネジメントをしていれぱ、日本の経済もきちんとしていたし、日本経済はいまほどひどい姿にならなかったでしょう。FRB(米連邦準備制度理事会)議長のバーナンキがいま実行している政策は、90年代の日銀政策を批判した部分から生じたものです。

FRBは金融市場でスプレッド(金利差)をかなり滅らしました。借り手もこれまでほどプレミアム(オプションの価格)を払っていません。状況は落ち着きを見せています。量的綬和は本当の成果を生んでいるのです。FRBはとてつもなく革新的で、積極的に行動しています。

いま日本は需要が不十分であるという、根本的な問題を抱えています。たしかに「失われた10年」のあと、経済は回復を見せました。でもそれは輸出に頼ったもので、けっして盤石なかたちではなかったのです。そして再び日本経済は元に戻ってしまいました。そういう意味では「失われた10年」を超え、「失われた20年」に突入しようとしているのです。

日本は継続的に、マイナスの実質金利をとる必要があります。それができる唯一の方法は、たしかなインフレ・ターゲットを設定することです。日本のインフレ率は他の先進国が目標にしている2~3%の範囲にまで達したことがありません。アメリカは潜在的に2~2.5%の範囲、イギリスも2.5%に設定しています。永久に需要が不十分な状態で、日本は他国よりも高いインフレ・ターゲットを設定ずぺきであり、理論的にいえぱ4%が妥当でしょう。まずは実行可能な将来の物価標準ターゲットを設定し、そのターゲットを達成できるかどうか、自己評価をすぺきです。

もっとも最近の日銀は、CP(ロマーシャルペーバー)、社債の買い取り、劣後ローン引き受け、長期国債の買い取り増額など積極的な政策を打ち出しています。その政策はすべて望ましいことだといってよいでしょう。


大規模な財政出動が経済を強化する

もちろん金融政策だげではなく、危機においては大規模な財政出動が行なわれるべきです。日本の「失われた10年」は、財政出動が一時的には経済を強化することを教えてくれました。インフラ整備と公共事案への財政出動を行なうことで、多くの人が直接雇用され、長期にわたってそれが効果を発揮するのです。

一部には財政出動で特定産業に資金をつぎ込み、技術保全を図るべき、と考える人もいるようですが、そのような考え方に対して私は懐疑的です。何を維持する必要があるかを決定する点で、政府はきわめて成績が悪い。われわれが求めているのは需要を維持するための政策で、どの産業や職業を救済する必要があるかを決める政策はいま、それほど必要とされていません。

しかしアメリカでいえぱ、巨大な金融セクターなどはもちろん縮小するか、改革しなけれぱなりません。アメリカは実体がないとわかっていても、表面上儲かっているように見えるものに対しては報酬を出します。しかしそれとて、どのように改革されるべきかははっきりしない。ちなみにAIGの210億円に上るポーナス支給が問題視され、アメリカ下院がその90%に課税を行なう法案を通しましたが、これは悪い法案でした。無実の人を罰し、もっと罪を背負うぺき人を罰していないからです。FRBはボーナス支給を知っていた、という話も出ていますが、そうであるならぱ、信じられない政治上のミスでしょう。

その他の景気刺激策としては減税がいわれます。しかし経済学的に見れば、減税と景気対策にはほとんど関連がありません。アメリカで滅税政策がとられているのは政治的な理由からで、少しでも共和党が支持を得て、選挙運動のときの公約を果たすためです。減税が景気対策としての意味をもちうる唯一の理由は、インフラ整備のプロジェクトをより早く実行に移せるという点だけでしょう。


アジアで共通通貨圏はつ<れない

おそらくいま、多くの人が関心を寄せているのは為替の問題ではないでしょうか。円高によって、多くの日本企業が苦境に陥っているからです。日本と中国の預金の超過分がアメリカや新興市場、とくに新興ヨーロッバ国につぎ込まれるベルトコンペアがありましたが、現在はそのベルトが壊れた状態です。世界がよりリスキーに見えれぼ円が上がります。自分が作り出していない危機に日本がこれほど痛めつげられるのはアンフェアのように思えますが、それほど世界経済は複雑です。

その流れを逆にするためにも、財政刺激策は一助となるでしょう。米国債につぎ込まれるお金を拠出するということで、円か下がる手助けになります。そしてグローバル経済が回復する。そこまでいげばまた円は下がります。ちなみに一時、円が一ドル=90円台後半まで戻した理由はもちろん、投資家の心理が少し改善しているからです。

10年後、もはやドルは基軸通貨の地位を失っている、という議論もあるようですが、正直なところ、それについてはまだ頭の整理ができていません。かつては基軸通貨としてのドルはなくなる可能性が高い、と考えていました。いま世界が向かっているのは二つの通貨、すなわちドルとユーロの世界です。しかしユーロには弱点があることもわかってきました。ユーロゾーンのほとんどは財政上のトラブルがかなり大きく、その結果、市場か断片化されてしまい、現在のボジションはあまりよくありません。しかしこの危機を乗り越えれぱ、基本的にはほぽ同じGDPで、ほぼぽ同じ金融上の精巧さをもつ二つの通貨域が誕生します。そうなれぱ、ますますドルの役割は侵食されていくでしょう。

もしドルが基軸通貨としての地位を失ったとき、日本はどう対処すればよいのでしょうか。間違ってはいけないのは、たしかに日本はドル資産をたくさんもっていますが、そのほとんどは直接投資のかたちになっていることです。日本の貿易は圧倒的にドル建てでなされていますが、それかどのくらい重要であるかははっきりしません。それがユーロや円建てになったとき、どれくらい状況が変化するかもわからないのです。

ドルヘの懐疑とともに、「東アジアで円主導による共通通貨圏を構築し、自国通貨でピジネスができる圏域をもつべきだ」という提言もあるようです。たしかに共通通貨が貿易を促進するという論文はいくつかありますが、一方で共通通貨の大きな間題は、asymmetric shock(非対称ショック)でしょう。すなわちそのブロックのなかで特異な問璽か生じると、調整か非常に困難になってしまうのです。イギリスではポンドが急落しましたが、そのことで輸出業にはより競争力が生まれ、そこから回復や希望が生まれています。しかし同時にスペインでは失業率が8%から14%にまで短期間で跳ね上がっている、という状況が生まれています。

それでもヨーロッパは貿易上の連結が大きいので、効率のよさかあり、労働の流動性も担保されています。ヨーロッバ法があるので、たとえぱスペイン人がドイツに移動しなくても、一つのブロックとして機能するのです。一方で東アジア地域がかなり異なった経済域であることは明らかで、そこでいま筋の通るレートを選んでも、5年後にはかなりズレが生じてしまう。中国の元が円と比べて価健が下がっているかもしれませんし、逆もまたしかりです。いかなる基準で見ても、アジアは最適通貨圏としては理に合わないように感じます。


1500兆円の個人金融資産が世界を救う

いまこそ日本は内需経済への転換を図れ、という議論もあるようです。それは政府レペルで決定すべき問題ですが、踏まえるぺきは、いまの日本は19世紀末のイギリスのような状態にある、ということです。人口が縮小し、貯蓄率の高い成熟経済であった当時のイギリスは対外投資を促進し、商品の輸出から資本の輸出国へと変貌を遂げました。同じように現在の日本もまた、資本輸出国でなげればなりません。需要の点で輸出型であるからです。

日本経済がもっと内需に基づくべきであったのは確かですが、それでも通常の状態においては資本輸出型経済でなけれぱならないのです。もし金融危機が1930年代の世界恐慌の再来になるなら、多くの世界貿易が閉鎖され、各国は保護主義になるでしょう。そうなれぱ日本も内需型経済に移行すべきでしょうが、現段階でそれを選択すぺき、ということにはなりません。いまのところ、アメリカ市場は日本にとってまだ、よいターゲットです。

もちろんアメリカの個人消費が簡単に回復しないことも事実でしょう。アメリカは貯蓄率か0.4%の状態でしたが、それが70%にまで上かってしまいました。アメリカにとって、さらに世界にとっての問題は、何がそれに取って代わるか、ということです。もしアメリカが完全雇用を維持することができれぱ、貿易赤字を減らすことで消費需要の滅少分が埋め合わせられます。それでも他の国はどうするか、という問題が残ります。

日本の儲けたマネーが結局、米国債に還流されることについては批判もあるようですが、構造自体は大いに理にかなっています。つまりは日本が生来的に資本輸出国であること、アメリカがある程度は資本輸入国であることに基づいているのです。さらにいえば、この時期にアメリカと一緒になってヒットを打てば、景気刺激策を通して世界に多くの資産を供給することになる。しかし、本当に長期的な視点で見れぱ、その構造かどうなるかはわかりません。中国がこの危機から内需主導で復活を果たせぱ、いずれ日本は米国債を買わないで、余剰預金を使って中国に投資するときが来るかもしれません。

「失われた10年」以降、日本の景気は中国に引っ張られた面が大きく、その中国が金融危機で痛んでいるいま、今後の日中関係を心配する声もあります。日中経済はリンクしていて、日本からの中間商品の提供がなければ中国はここまで早く成長できなかったでしょうし、日本も中国からの輸出引力がなけれぱ回復はありませんでした。おそらく今回は中国のほうが日本より早く立ち直るでしょうが、その連携がどうなるかによって、回復がいかに生じるかというプロセスも異なってきます。中国は本当に内需を拡大しようとするか、アメリカが回復すれぱ、再ぴ多くの商品をアメリカに輪出するだろうか。そのあたりはまだ明確ではありません。先ほど述べたように、いまは資金の流れるベルトコンベアが完全に壊れた状態だからです。

いずれにせよ日本とアメリカ、そして中国が大変な状態にあることだけは確かです。どの国がどうやって混乱から抜け出すか、それを指摘するのは非常に難しい。トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭に「幸せな家族はすべて似通っているが、不幸な家族はそれぞれ違う風に不幸である」という一節があります。いまの日本、アメリカ、中国はそれぞれ違ったふうに不幸なのです。

もちろん、日本のように余剰金のある場所から貯蓄が投資として流れるのは、全体としていいことです。1500兆円ともいわれる日本の個人金融資産が動き出せぱ、日本だけではなく世界中が助かるでしょう。日本が「人生は短い、楽しもう」というようなキャンペーンを行なって、貯金を使ってもらうだけで、それは世界経済の回復につながるのです。


デフレが過ぎ去ったあとの世界

「金融危機の元凶はウォール街の大手投資銀行で、金融工学の悪用が発端」という認識は、多くの日本人に共有されているようです。それを契機に新自由主義やグローバル資本主義、規制綬和を否定する論論調が現れ、支持を得つつある、という声も聞こえます。

それは単純にウォール街だけの問題ではありません。ヨーロッバの銀行がお金を貸しすぎたことにも過失があります。ウォール街にはスペインの住宅パブルに対する責任はありません。しかしもちろん、今回の元凶を象徴するような行為がアメリカで起こっていたことは疑いがないでしょう。アメリカの金融界にいた人たちは、自らの行為を生産的であったと主張しますが、彼らは実際には富をつくっていたのではなく、破壊していたのです。

そもそも、規制緩和が新産業を生み出す鍵になる、という議論は間違いです。第二次世界大戦後の25年間における産業成長は、きわめて規制された環境で起こりました。むしろいくつかの点では、新しい規制が鍵になるかもしれません。もしわれわれが気候変動について本当に真剣になるなら、環境技術への投資が増えざるをえないでしょう。温暖化対策としてキャッブ・アンド・トレード方式(政府が温室効果ガスの総排出量を定め、それを個々の主体に排出枠として配分し、個々の主体聞の排出枠の一部の移転または獲得を認める制度)を行なえぱ、それだけで化石燃料に関連する製品のコストが上がります。それによって省エネや風力や太陽光発電などの投資が促されるのです。

最後に、これから世界はどのように動くのでしょうか。まず、株価についてはまったく予想することができません。3月半ぱからNYダウや日経平均は急反発しましたか、株式市場はあまりに多くの要素に影響されるので、何かの指標として株価を使うのは適さないのです。株価と実体経済には、それほど信用ある関係がありません。ノーベル賞経済学者であるボール・サミュエルソンの「株式市場は最後の5つの景気後退のなかで9つを予測した」という言葉があります。つまり市場の動きの予測はそれほど難しく、株価はわれわれにあまり多くを教えてくれないのです。私はむしろ金利に注目しています。それは株価にいま何が起きているかについて、重要なヒントを与えてくれるでしょう。

デフレが過ぎ去ったあとの世界はどうなるのでしょう。これまでバブルは絶えず起こりましたし、ごれからも起こることは間違いがありません、問題はそれを対処可能な範囲に収められるかどうかです。1960年にアメリカで株式バブルが起こり、たくさんの人々が莫大なお金を失いました。しかし経済上の対応はうまく行なわれたのです。70年代に起こったラテン・アメリカでのハイリスク・ハイリターンの貸し付げブームも同じで、それは各地域にとってはひどい経験でしたが、グローバル危機は発生しませんでした。われわれには規制された金融市場があるので、バブルが発生しても本当にそれが破壊的になるほど大きくなったことはないのです。

エール大学教授のロバート・シラーは、その薯書『根拠なき熟狂』で、"Bubble is a natural Ponzi scheme."(バプルは、自然発生するねずみ講のようなもの)と述ぺています。資産価格がどんどん上かり、しぱらくそれが続く。人々は上昇がずっと続き、皆がお金持ちになれると信じ、懐疑的な人が馬鹿であるかのように思いはじめます。ところが結局それは弾けて大変な事態が訪れる。これを完全に防ぐ方法を考え出した人はまだいません。

また日本には「世界大恐慌が第二次世界大戦の下地をつくった」という歴史認識があるようですが、そのような政治的危険性が差し迫っていることも確かでしょう。現在、もっともリスクがあるのは東欧のウクライナ、ベラルーシ、バルト諸国、ハンガリーなどで、これらの国には民主主義が根付いていないために今回の危機に直面して大きく揺れています。

戦争の危険性も議論されていますが、落とし穴にはまってはいけません。第一次世界大戦以前に出版されたノーマン・エンジェルの『大いなる幻想』では、「戦争の結果生じる避げがたい経済的混乱は、勝利の結果がもたらす経済的利益を不可能にしてしまう」と述ぺられています。これは戦争が起きない、という予測であるように広く解釈されましたが、実際はそうなりませんでした。もちろん一般論として、近代においては意図的な侵攻ばたしかに割に合いません。ロシアのグルジア侵攻がよい例でしょう。どちらにも非があるように見えますが、その勝利はロシア人にいったい何をもたらしたのでしょうか。

今回の危機によって、かつての日本やドイツがたどった道を再び歩む国はないように思います。それでもクレージーな人たちが政権を奪取し、何を行なうかわからないというリスクはあるでしょう。『フィナンシャル・タイムズ』がこれから4年先、世界が暗黒郷(理想郷の反対)になっているという話を掲載していました。サラ・ペイリンが大統領になるなど、ひどい事態が起こりうる可能性は存在しています。そしてそのような政府が誕生すれぱ、うっかり戦争になってしまう可能性も否定できません。1930年代の政治状況に比ぺれぱ、現在の世界はそこまで悪くは見えませんが、今回世界中で起こっている大量失業は、けっして平和にとってよいことではないのです。


 
 
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