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マーティン・シェパードは、ニューヨーク大学医学部で学位を取得した精神科医である。彼は、瀕死の人、身近な人との死別を経験した人、その両方からの聞き書きを中心に、死の恐怖に対する処方箋を著した。言わば、アメリカ版『死の壁』で、ジャーナリストの大野和基氏が、改めて死の受け入れ方を著者に聞いた。
養老孟司氏が、『死の壁』で言うように「人間の死亡率は100%」である。日々普通に生きていたら、ともするとそれを忘れてしまいがちだ。特に報道される事件や事故の三人称としての「死」は、自分に関係ないからだ。ところが、年を重ねるにつれ、身近な人の死を目のあたりにする頻度が増してくると、「死」について、哲学的になり、少しずつ実感がわいてくる。
そして、究極は、自分が不治の病を宣告されたときにこそ、「死」がもっとも現実味を帯びてくるのだ。交通事故で即死するとか、寝ている間に死ぬとなれば、「死にたくない」と考える間もなく、あの世にいってしまうが、愛する人の死や不治の病によって自分が死んでいく場合は、そう簡単に割り切れるものではない。
『生きるための死に方』(小社刊)の著者のマーティン・シェパードは、今は著述業に専念しているが、かつては精神科医だった。
「40年以上も前になりますが、インターンのときに、救急室に運ぱれてくる人が亡くなっても、それは三人称の死ですがら、身近な人の死と比ぺると、はるかに対処するのは簡単です。でも、最初の妻が、昨秋ヘロインの過剰摂取で突然死したときは、私はショックで床に倒れ、立ち上がることができませんでした」
シェパードドの父親はは私の父親と同様に、がんを愚って亡くなっている。最大の違いは、私の父親はがんと宣告されないま、半年入院して亡くなったことだ。
「何よりも重要なのは、患者に正直に病名を告げること、そこで嘘をつくと、全てのコミュニケーションが終わる。正直に病名を告げると、患者にとっても周囲の人にとっても、死が現実味を帯ぴてくるが、愛する家族に自分の心の内を吐き出すことで、死を受け入れられるようになるのです」
残り少ない人生の時間に真実を語り、誠実に、率直に真剣にコミュニケーションをとることがどれほど大切か、シュパードは本の中で何回も強調する。
「私の父が、がんで亡くなったとき、がんに対する考え方が一転したのです。がんは、他の死に方と比較すると、いくつかの利点があります。交通事故で即死する場合と違って、死の準備をする時間があります。愛する人との会話を楽しみ、友人に別れを告げ、身の周りの整理をする時聞があります。自分をできるだけ十分に見つめる時聞を許される。そう思うとがんに対する恐怖がなくなりました」
彼は『死」について、父親と多くを語り含ったという。
「父という、最も身近な人と死について語り合うことで、死の持つ多くの肯定的な面に接することができました。医者になったころは、死は避けることができるものだと錯覚をするほど傲慢でした。どんな犠牲を払っても、患者を生かすことしか教えられなかった。それはおかしいと今は思います。今は自然死ができなくなっています。本当は自宅で愛する家族に囲まれて死んでいくのがペストです」
死を受け入れる5段階
シェパードは、世界的ベストセラー、『死ぬ権利』の著者として高名なキューブラー・ロス博士の言う「死を受け入れるまでの5つの段階」を詳説している。末期の病状にある人が自分の死を受け入れるようになるまでの5段階で、第1段階は「まさか私が、という否認と孤立」の段階。第2段階は『なぜ、私が、という怒りの段階。第3段階は、怒りが消耗しつくしたときに訪れる「取引」の段階。これは「子どもが親にだだをこねてうまくいかなかったときに、いい子になることによって自分の思いを遂げようとするように、神に働きかけて最後のときを先に延ぱしてもらおうとする」段階だ。第4段階は、長引く入院、繰り返す手術、経済的圧迫によって生じる「抑うつ」の段階。そして、ほかの感情が表出されつくしたときにやってくる「受容」の段階だ。この段階に達すると、憂うつもも怒りもなくなリ、穏やかな気持ちになるという。
「実際は、この5つの段階は明確に分かれているわけではありません。同じ人でも24時間の間に、いろいろな段階を行ったり来たりして繰り返します。しかし、死を受容するまでにこういう段階があることを知っているだけでも、死に対する恐怖や苦痛が和らぎます。最後の慰めは、自分の死を経験することはないということです」
シェパードが1950年代にに医学生のときは、「死」についてはまったく教えられなかった。
「当時は、死をいかに避けるか、患者をいかにして生かすかということしか教えてくれませんでした。人間は誰でも死ぬのですから、死をいかに受け入れるか、あるいは受け入れさせるかということも同じくらい重要です」
自分の死を従容として受け入れるには、今自分がどの段階にいるのかということを客観的に把握することが役に立つだろう、とシェパードは言う。
「この本は、死が差し追っている患者のためだけではなく、身近な人と死別する人を導くための薬でもあります」
もっとも残酷な仕打ちは、病人に対する空々しい芝居であることに気づいてほしいと、シェパードは静かな口調で語る。
「健康な人にとって、死を身近に考える姿勢は、簡単に身につけられるものではありません。私は、20代、医師として毎日三人称としての死を病院でみてきたにもかかわらず、死は起こらないと頭のどこかで思っていました。私はあと半年で70歳になりますが、それでも『死』は思考の最前線にあるわけではありません。もっともよく生きる方法は、一日一日を満足の行くように生きていくことだと思っています」
この本捻は、『死の壁』と併せて読むと、死に対する恐怖が軽減し、これからの人生もより充実し、軽快に生きることができるのではないだろうか。
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