週刊テーミス 1990年4月4日号
鹿内美津子 
フジ・サンケイグループ総帥・鹿内春雄氏未亡人
初めて肉声で「人生、何が起こるかわかりません」
「永住については何も決めてません」「鹿内家との連絡?答えたくありません」


知人の紹介で米博物館の一員に


「どうして私の居どころがわかったのです。なぜ、私を調べたんです。あの新聞以来日本のマスコミが殺到しましたが、私はどこの取材も応じていないんです。今回はそちらに住所も電語番号も調べられ、仕方なく妥協しただけですの」
約束の時間よリ10分遅れて、働いているオフィスビル1階のレストランに姿を見せたキャシー鹿内こと、鹿内美津子元フジテレビアナウンサーは、最初から詰問調だった。いや、彼女のことは、故・鹿内春雄前フジ・サンケイグループ議長夫人と紹介するべきだろう。
昨年5月に開かれた「鹿内春雄さんを偲ぷ会」を最後に、その後の彼女の行方は沓として知れなかった。それが、この3月8日に、突然姿を現したのである。同日付の朝日新聞タ刊「現代人物誌」に「亡き夫の夢胸に『復活』を期す」というタイトルつきでだ。
同紙によれぱ、現在、彼女は米国・ワシントンにあるスミソニアン博物館・美術館群で、ボランティアスタッフとして働いているというのだ。
なぜ米国に、しかもスミソニアンなのか。
「それはたまたま、友人がそういう仕事をする小さな交流団体にいて、声をかけてくれたからです。英語は大学でも専門でしたし、子供も英語で育てているので、絶好の機会だと思いました。それにここスミソニアンは、米国の美術館の巨大なかたまりで、日本では美術館とは縁がなかった私ですから、新しいことばかりで勉強になって、楽しいんです。たとえぱ、1つの美術館で展覧会があるとしますね。私はその展覧会が公開される前に、キュレーター(美術館長)から話を聞き、普通の人なら見過ごしてしまうような、なぜ、そういう展示法にするかを教えてもらい、展示の裏にある深い意味を探ります。そして、そういう面から、展覧会を日本に紹介するという仕事をしてます。小さいですけど、日米の文化交流に役立てぱと思っています」
彼女はここで、折々に開催されるさまざまなイベントの1つを担当しているミズ・シャーリンのアシスタントとして働いているのである。
スミソニアン博物臨・美術館群は、国会議事堂とワシントン記念塔の間にあリ、13の建物から構成され、展示品は全部で1億3千万点以上にも及ぷ。
国際政治の舞台としても同地はたぴたぴ登場している。西側世界の経済金融秩序を決定するG5(先進5カ国蔵相会議)の第一回会合もここで開かれており、最近ではワシントン入リした竹下元首相も訪れている。いわば、アメリカの富とパワーを象徴する場所でもあるのだ。
「私の子供は、なかでも航空宇宙博物館が大好きなんです。週末は混み合いますから、平日に時間を見つけては、子供を連れていきます。すぱらしい環境ですよ。航空宇宙博物館に行くと、みんな初めは展示されている物に圧倒されます。でも、私は物もあるといいたいのです。物がある、ではなくて、物もある。誰にとっても勉強になリます。私の子供にとっても、無限の好奇心を満足させる場所なんです」
現在、彼女が住んでいるコンドミニアムは、ここからクルマで約15分、ジョージタウンの一角にある。
朝日新聞のインタビューに応じた彼女がスミソニアンで働いているのを知った本誌は、軽い気持ちで早速、彼女が働くオフィスに取材申し込みの電話を入れた。ところが、電話口に出た上司のシャーリンさんは「彼女にそのつもりはない」の一点張り。朝日には応じたのになぜ、に対して「あれは特別だ」と電話を切られたのである。このとき、この取材が一筋縄ではいかないことを、初めて痛感した。そこで彼女には申し訳ないと思いながらも最後の手段、仕事を終えた彼女の行動をチェックした。その結果、ポトマック河畔の3ベッドルーム付きの、200万ドルもする高級コンドミニアムに、彼女たち親子が住んでいることを突き止めることが出来た。

フジテレビの見せた冷たい反応

夫・鹿内春雄氏が死去して丸2年近く。どんな思いを胸に彼女は、時を過ごしてきたのか。
「春雄さんが急逝してから1年半近くは、外に出る気力もありませんでした。家に閉じこもって、ただマーラーの交響曲『復活』を聴き続けていました。でも、そのうちにこれではいけない。逃げてはいけない。人間として、母として、これからどう生きるかを考えなく
てはと.思い始めました。そんなとき、スミソニアンを日本に紹介する小さな交流団体を作った友人から、あなたが向こうにいてくれると助かるのだが、という話があり即座に引き受けたわけです。
それに、子供たちを国際人にしたいというのが、春雄さんの夢でした。将来は『国際学校』に入れようと家でも英語で育ててきたんです。ですから、春雄さんの夢を実現し、子供たちにも、学校に入る前に違う文化を体験させるのにいい機会だと思い、こちらに来たんです」
未亡人とはいえ、彼女はいまでも鹿内姓を名乗る鹿内家の一員である。彼女たち親子の米国行きに、鹿内家はどう対応し、いま、どんなやりとりがなされているのか。
彼女の表情が急に曇った。
「鹿内家との連絡については、答えたくありません」
彼女のこれまでの人生の歩みは華やかであり、さながら「現代版シンデレラ」のようだった。まずNHKアナウンサーとしてデビューし、すぐに美人才女アナとして人気を博した。そして、フジテレビにそうした人気を買われて移籍。時を経ずして、当時のフジ・サンケイグループの総帥・鹿内春雄氏に見染められての結婚。総師夫人として頂点を極める直前まで、彼女は順風満帆の道のりを歩んでいた。
が、春雄氏の急逝で彼女の人生は一転、悲劇の底に沈んだ。結局、彼女に残されたものは2人の息子と家、それに数億円の借金だけだった。
春雄氏の父・鹿内信隆氏がその後、娘婿の宏明氏と養予縁組みし、後継者に指名したとはいえ、鹿内美津子親子にフジ・サンケイグループからの何がしかのサポートがあっても、当然である。
しかし、春の太平洋を越えて来た同グループの反応は、北極海の氷のように冷たかった。
「彼女は鹿内家と血がつながっていないので、フジテレビとも一切関係ありません」(フジテレピ広報)
これを、草葉の陰の春雄氏はなんと聞くだろうか。
それにしても、これまで彼女はなぜ、報道陣を避けていたのか。
今回、朝日新聞に掲載されて以後も、それは同じだった。夫の急逝というショックから、立ち直れないでいるのだろうか。
「それは、朝日新聞の記事で十分と思ったからです。あそこでいってることが、私の本質ですから。今回の場合もいろいろな雑誌が私の働いているオフィスに押しかけたようで、大混乱に陥りました。あとから日本の報道陣の代表として、キチンと謝っておいてください。せっかくスミソニアンで地道に築き上げたささやかな日米文化交流が、これで台なしですよ。日本人のこの取材の仕方は、アメリカ人には理解できないんです。お断りしても入り込んでくるという、この道徳のなさ。私は同じ日本人として、恥ずかしい思いをしたんですよ。ですから、あなたが日本人の報道陣を代表して、私のオフィスの人たちに、ちゃんと謝っておいてくださいよ。必ず、お願いしますね」

どうして人聞不信になったか

今回の取材にこぎつけるまでさまざまな紆余曲折があり、その最大のものが、電話で2時聞近くも説教されたこと。
しかし、最終的には、スミソニアンの航空宇宙博物館を見てくれたうえでなら、という条件が提示された。一体、同博物館に何があるのか。
はやる胸を抑え、半日がかりで同博物館を見てまわった。
「もう、おわかりでしょう。スミソニアンの人は、みんな人間が好きなんです。たとえば、ライト兄弟の飛行機を展示するにしても、まず、ライト兄弟がどんな人間かを研究するんです。そして、いろいろと調べていくうちに、多くのことがわかってきます。それをキャプションとして、1つのセンテンスに表現することが、キュレーターにとっては至難の技なんです。そういう意味からも、私もこちらに来て、いろいろと勉強になりました」
彼女は暗に「人間不信」を表明しているかのようだった。何が彼女をここまで追い立てたのか。夫亡きあとの鹿内一家の対応か。それとも、手のヒラを返したように、彼女たち親子を顧なくなった巨大組織の仕打ちか。
最後の質問、「このまま米国に永住するつもりですか」に対して、彼女は精いっぱい胸を張り、答えた。
「人生、何が起こるかわかりませんので、どうなるかわかりません。何も決めていないんです。永住するかもしれませんし、しないかもしれません」
ワシントン・ポトマック川沿いの散りゆく桜のなかに、彼女は消えた。

 
 
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