|
週刊文春 1995年10月19日号
シンプソン裁判
陪審員 黒人女性(44歳) 直撃インタビュー
「人種問題を持ち出したのは検察側よ」
「無罪」と「無実」は違う。“世紀の裁判”でO・J・シンプソン氏はアリバイがないにもかかわらず、なぜ「無罪」を勝ち取ったのか?本当に人種問題は影響したのか?小詩の直撃インタビューに重い口を開いた黒人女性の陪審員は、意外な事実を明らかにした。
私の脳裏に特に印象に残ったのは、犯行現場の自宅で、刑事のフィリップ・パナター氏が(シンプソン氏から採取した)血を持ったまま何時間もウロウロしていたことです。どうしてすぐにその血を証拠としてラポに持って行かないで持ち歩いていたのか。
検察側の言い分には、欠陥がありすぎました。
たとえぱ、ロッキングハム通りのシンプソン氏の自宅裏で見つかった手袋です。その周囲には血がついていないし、手袋が発見された自宅前の道路にも血は発見されていません。私は、誰かが手袋に血をつけたのかも知れないと思いました。また、シンプソン氏が手袋をはめた時に、ちゃんとはまらなかったことも大きかった。手袋は彼の手には小さすぎました。私は自分の信じる証拠だけに基づいて「無罪」と判断したのです。
ランス・イトー判事から、「もし、ある証言者が本当のことを言っていると思われない場合は、その人の証言をすぺて無視してもいい」と言われ、私はそれを守りました。
争点になったDNA鑑定に関して言うと、ロサンゼルス市警がそれを台無しにしたのは間違いありません。そういう点で弁護側の証言者ヘンリー・リー医師(病理学者)が、血液について「サムシング・ロング」(奇妙な点がある)と言ったのは、陪審員みんなに影響したと思います。
千百五個の証拠物件、百二十六人の証人による四万五千ぺージにおよぶ証言録。昨年の六月から全米の注目を集めてきた、世紀の裁判は、さる十月三日、被告O・J・シンプソン氏の無罪評決で幕を閉じた。裁判のクライマックスは、十月二日、選ぱれた十二人の陪審員が行った審議だった。陪審員は、黒人九人、白人二人、ヒスパニック一人(女性十人、男性二人)。陪審員の一人、ブレンダ・モーラン氏はこの「密室」の内幕を初めて小誌に語った。
審議に入ってまず私たちがやったことは、陪審長の選出です。
一人がアーマンダ・クーリイ氏(黒人女性)を陪審長に推薦しました。すると、別の陪審員がもう一人の男性を陪審長に推薦し、結局、投票で決めることにしました。その結果、九対三で、陪審長はクーリイ氏に決まりました。誰かがクーリイ氏に「陪審長の経験があるのか」と聞いたのですが、答えは「ノー」でした。
白人陪審員による有罪告白
私は審議を先に進める前に「有罪」か「無罪」かの無記名投票をやろうと提案しました。すると、結果は「無罪」が十票、「有罪」が二票でした。「無罪」(ノット・ギルティ)というのは「無実」とは違い、犯罪を犯したかもしれないが、証拠不十分であるために「有罪」にはできないという意味です。これは「無実」の人を「有罪」にしないためには非常に重要なことです。
陪審員同士で一体、誰が「有罪」に票を入れたのかは、あえて追及しませんでした。追及すると、その人の気分を害することがあるし、無理やり決断を変えさせる危険性がある。誰が「有罪」に票を入れたのか尋ねてもよかったのですが、そういう理由であえてしなかったのです。
それから、部屋に置かれた二十冊ぐらいの証言書、写真、手紙などを陪審員みんなでお互いに回しながら、三時問半ぐらい見ました。そこで質問があれば、何でも聞いて確認し合おう、と私が言ったのです。途中、私はシンプソン氏のリムジン運転手アラン・パー力ー氏の証言(注・事件の夜、シンプソン氏らしき人物を自宅近くで見かけたという)が気になったので、イトー判事にその証言を再度、読んでほしいと依頼しました。というのも、私のメモには、パーカー氏が目撃した人物が着ていたのは「青い服」と書いてあるのに他の陪審員はみんな「黒い服」と言ったからです。そこをはっきりしないと気持ち悪かったのです。それが読まれた後、もう一度無記名投票をすると、今度は全員一致で「無罪」と決まりました。その時、初めてアニス・アッシェンパック氏(白人女性の陪審員)が、自分が最初に「有罪」に入れたことを告白しました。彼女は二回目の評決で「無罪」に入れ、非常に満足しているようでした。
弁護側が提出した録音テープに「ニガー」という黒人差別発言があり、裁判では一転して人種間題がクローズアップされた。発言者は、事件を担当した元ロス市警刑事のマーク・ファーマン氏である。アッシェンパック氏は判決後、自分の娘に対し「シンプソン氏はたぶん殺っていると思う。しかし、マーク.ファーマンのせいで、証拠が不十分だった」と語ったという。
「気が狂いそうになった」
この裁判で一番辛かったのは、家族から離れ、ホテルに閉じ込められ、生活の仕方まで指示されたことです。裁判所での手続きに間に合わせるために、遅くとも朝五時半には起床し、六時までには食事を終えるように言われました。ホテルの部屋で電話する時も、横に監視員がいないとかけられませんでした。それはまるで囚人と同じような生活です。テレビもラジオもない部星に一人でいると、気がおかしくなって何度も叫びたくなりました。はじめのうちはホテルが用意している映画を観ていましたが、全部観てしまったので、部屋に戻るしかありませんでした。しかし、部屋に戻っても新聞は読めないし、他の陪審員と裁判について話したらいけない。禁止事項ばかりで囚人と何ら変わりません。私はただ壁や窓を見つめていました。部屋や廊下の天井にはカメラが取り付けられ、廊下の端に監視員がいて常時、監複しているのです。他の陪審員とは裁判以外のことなら話せますが、それも廊下でしなければなりません。会語もすべて聞かれていました。
本当のことを言うと、陪審員に選ばれたくはありませんでした。選考過程でただ正直に質問に答えていたら、選ばれてしまったのです。陪審員に選ばれたら社会から隔絶される、と聞いたときは恐くて仕方ありませんでした。これまでそんな経験がないので、どのように対応したらいいのかわからなかった。それが恐怖につながったのです。時間が経つと慣れるだろうと思いましたが、逆に悪化するだけでした。法廷で陪審員が聴くことを禁じられた証言の間は、何時間も後ろの部屋に閉じ込められる。そういう時はみんな気が狂いそうになっていたのです。そして出てきた時も、私たち陪審員には何の説明もない。怒りとフラストレーションがたまる一方でした。
評決の早さにみんな驚いているようですが、私は毎日の証言を真剣に聴いていましたし、ホテルの部屋に戻ってその日に聴いたことを考える時間は充分ありました。ですから、評決までの時間が短いからといって、いいかげんに審議したということは決してありません。何しろ九ヶ月間も陪審席に座っていたのですから、考える時聞は充分ありました。一般に陪審員はよく初期の段階で(評決を)決めてしまっていると言われますが、私の場合は最後の最後まで証言と証拠を検討していました。
シンプソン事件はまた、メディアによって演出された巨大なショーであったと言っても過言ではない。ABC,CBS,NBCの三大ネットワークを始め九つのテレビ局が法廷の模様を中継で伝え、連邦政府とロス市は「評決」の当日、暴動の再現を恐れて警戒体制を敷いた。「無罪」の評決が発表された直後にCBSが行った世論調査では、白人の六割が評決を「誤り」だとしたのに対し、黒人の九割が評決は「正しかった」と回答し、人種間の評価は真っ二つに分かれた。
元ロス市警刑事の「手紙」
辣腕弁護士ジョニー・コクラン氏が最終弁論で(ファーマン氏を「ヒトラー」と比較して)人種問題の色を強く出したと言われていますが、私は人種問題をこの裁判に導き入れたのは、検察側だと確信します。それは検察側が元ロス市警刑事のマーク・ファーマン氏について書かれた手紙を見せた時です。その中でファーマン氏は黒人を、差別語の「ニガー」と呼んでいた。すでにここで黒人をどのように思っているか、書かれていたのです。ですからその後、コクラン氏が最終弁論で人種問題を持ち出してきた時にも自分の考えにはまったく影響しませんでした。
シンプソン氏の「無罪」評決で、アメリカが黒人と白人で意見が真っ二つに分かれたと言われていますが、それはとても悲しいことです。私は自分が正しい判断をしたと確信します。もし、これが前妻に対する虐待の裁判だったら、私は何の迷いもなくシンプソン氏を「有罪」にしたでしょう。しかし、これは殺人の裁判であって、虐待の裁判ではないのです。夫であるシンプソン氏が単に前妻をよく殴っていたからと言って、それだけで殺すという理屈にはなりません。ですから私は、検察側が虐待の事実を持ち出したことは、却って失敗だったと思っています。
裁判について、お金で正義が買えるとか、陪審制度の見直しとかいろいろ言われていますが、私の立場から言わせてもらえぱ、「陪審員がやるべき仕事に口出ししてほしくない」ということです。私たち陪審員は、証拠に忠実で、しかも、公正であることを宣誓し、それを実行したまでです。もし、一般の人が判断したければ、私から莫大な借金をするのと同じです。私は自分の貴重な人生のうち、九カ月聞も閉じ込められた生活を強いられたのですから。
もっと重要なことは、テレビで一般の人には見せられたが、陪審員には見せられなかった"証拠”(却下された証拠も含む)がある、ということです。つまり、一般人が見ている裁判と、私たち陪審員が見ている裁判は違うということです。もし、陪審員が一般の人と同じものを見ていたら、「無罪」の判断が変わっていたかも知れません。「有罪」と思っていた人が特に白人の中に多かったようですが、私もそう思っていたかも知れないのです。
|
関連書籍
|