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第1回 ジャーナリズムは理屈ではない。実践だ。
ジャーナリズムの世界に入って今年で約20年。試行錯誤、紆余曲折、波乱万丈、そのすべてを経験して今の自分がある。ぼくのところに来る取材依頼は、どういうわけか一筋縄でいかないものがほとんどだ。だから、成功すればスクープになるし、それだけやりがいもあるのだが、取材が成功するまでのストレスは想像を絶する。一回ごとに寿命が縮まっているような気がするほどだ。全神経を集中させ、知恵を振り絞り、アプローチを考える。普通の取材の申し込み方では拒否されることは目に見えているからだ。
一瞬の気の緩みも許されないときもある。相手の気持ちが少しでも変われば、一気に引っ張る。取材によっては、一回目のアプローチで失敗すると、万事休すというものもある。さらに、相手が取材陣から逃げるために、別の場所に移動している場合もある。そのために車による尾行をすることもある。そういうときの自分は探偵かジャーナリストか自分でもわからなくなる。
取材の前に写真を撮らなければならない場合、張り込みが必要となる。張り込みは取材の基本中の基本であるが、一人での最長は一ヶ月。もちろん夜は帰るが、日が昇る直前からバナナの房を持ち込んで張り込みを始める。
日本的な「そこを何とか」はアメリカ人には通用しない
明らかに相手がいやがる取材は、当然アポを入れることができない。いわゆる直撃取材。また、長時間の取材が必要である場合は相手が逃げる取材でもアポを入れる必要がある。そして、ようやく取材OKが取れた後も実際に取材が終わるまでは神経が休まらない。取材交渉2ヶ月。やっと承諾をもらい、いそいそと渡米すると、その間に相手が心変わりをしていることもあった。もちろん目の前で説得しなおすことになるが、ぼくが絶対にやらないのは日本的な「そこを何とか」である。アメリカ人にはそれは通用しない。あくまでも理屈で攻める。筋を通すのである。片言の英語では絶対に相手にしてくれない。相手はこちらが日本人であろうとアメリカ人であろうと関係なく、言葉がまともにできないような記者に腹蔵なく話そうという気になるはずがないからだ。英語の話はそのうち別サイトで書き始めるが、ここではあくまでも取材の話しに限る。
最初から拒否されないような取材は逆に拍子抜けしてしまう。相手が喜んで受けてくれるような取材はぼくの場合ほとんどないので、拒否される覚悟で取材を申し込み、一回で承諾されるとやはり拍子抜けだ。せっかく次の対策を練っていたのにと思ってしまうのだ。
ジャーナリストの醍醐味は渦中の人、話題の人に直接会うこと
過去20年間やった取材の数は枚挙にいとまがない。一つ一つに思い出があると言っても過言ではないだろう。内容によっては、あるいは複数の記者がかかわっている場合は署名記事にしないことも多い。時効にならないと話せない裏話もある。
取材したことをすべて書くことはまずない。記者が事件の全体像をつかむためにオフレコで話してもらう内容もあるからだ。ぼくの場合、できるだけ匿名取材は避けるようにしている。それは安易なアプローチだと思うからだ。ただし、実名を出すことで明らかにしゃべった本人に危害が加えられることが予想される場合とか、テロリストに取材する場合は、話は別だ。テロリストは、実名を知らないまま会うからこそ、承諾を得られるのである。一つ間違えれば、被取材者が逮捕されることになるからだ。
ジャーナリストの醍醐味は渦中の人、話題の人に直接会うことである。そこに人間のある面が凝縮されているからおもしろい。
ここに綴るのはジャーナリズム論ではなく、実際に経験したことと、それに関するぼくの思索だ。ジャーナリズムは理屈ではない。実践だ。きれいごとでは済まされないのである。
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