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第6回 取材の裏側A 複数対象取材の難しさ−「代理母」リポートの場合(前編)
マイケル・ムーアの独占インタビューのときのように一人だけ取材すればいいものは、それに全エネルギーを集中すればいい。未完成で終わると、すべての努力が水泡に帰するということを考えるだけでも、最後まで気を緩めることなく、緊張を維持する根性が出てくる。しかし、複数の人への取材が必要となってくるルポタージュの場合、その中で一部の取材に失敗するとマヌケのルポになる場合は、独占インタビューと同じような手法と緊張が要求される。しかし、独占インタビューのときのように全エネルギーをその部分だけ注ぐと燃料切れになる可能性が出てくるので、体力、精神力も持続性をかなり要求されるのだ。
アメリカは干渉の国
最近、向井亜紀のケースで話題になった代理母の取材がそうであった。基本的にぼくは、代理母を使うことに反対である。テレビに出てくるコメンテーターも「アメリカでは」という一般化した表現をいいかげんに使っているが、州によって法律が異なる上に、代理母を明確に禁止している州が多いことにも触れなければならないのに、アメリカは「何でもあり」(Anything
goes.)だという印象を与えかねないような、無責任なコメントを平気でする。18年間住み、そのうち14年間はジャーナリストとしてアメリカ社会の隅々まで取材したぼくは返って、アメリカの方がうるさく、干渉好きで、日本よりも自由がない印象を持っているほとだ。現に東京に住んでいるアメリカ人の知人(みんなジャーナリスト)は、「日本の方が何でもあり」だと断言している。別の見方をすれば、日本人は節操がない、危機管理意識ゼロという意味にも取れる。 例を挙げる。日本人夫婦が路上で夫婦喧嘩をして、夫が妻の顔面をぱしっと叩いたのを目撃したアメリカ人は、警察を呼び、即夫は逮捕された。挙句の果て、妻に訴えられるのではなく、ニューヨーク市民に訴えられた事件があった。夫はこれは文化の違いと抗弁したというが(妻もこれに同意)、郷に入っては郷に従えというように、その国の法律で裁かれる(ぼくの感想:Leave
us
alone.とアメリカ人に言いたい)。さらに、ロサンゼルスで、10歳の子供を車に置いたままスーパーマーケットに買い物に行った日本人夫婦が車に戻ってくると、そこに待っていたのは警察だった。干渉好きの通行人が通報したのである。その夫婦は幼児虐待で逮捕される始末。日本でも長崎のデパートで、親が子供を一人にして、その間に子供が連れ去られ、殺された事件があったが、アメリカであれば、子供を殺した犯人だけではなく、親も有罪になる。ぼくが日本に住むために97年に帰国した際、最初のカルチャーショックは、スーパーマーケットの外に赤ちゃんが入ったベビーカーが置いてあることだった。アメリカの法律を適用すると逮捕者だらけ。アメリカ人の危機管理意識を日本人も持っていれば、児童が巻き込まれる犯罪は確実に減る。
「代理母」はアリか?
こと代理母に関しては、まだ日本で認められていないが、ぼくは、人の子宮をお金で借りることを考えただけで、ぞっとする。理屈抜きにぞっとするのだ。世の中には、一見お金で解決できそうだが、お金で解決してはいけないものもあると思う。どんな妊娠にもリスクが付きものだが、代理母にそのリスクをお金を払って負わせるのは、やはりおかしい。ぼくが取材した代理母も相当苦悩していた。その夫の気持ちも複雑である。自分の妻が代理母をやること自体、思考の範囲に入っていないし、依頼する女性も自分が代理母をすることは考えられないというのだから、やはりおかしいのである。臓器の売買もアメリカや他の国で禁止しているが、臓器を売買する発想がintrinsically(それ自体で、本質的に)におかしいのと同じだ。このintrinsicallyという言葉には、「理屈抜き」にという意味が込められている。知っていると便利な言葉だ。 ぼくは、代理母の斡旋業者、それを使おうとする日本人夫婦、その他代理母に反対する団体などに取材して、ルポタージュを書くことにしたが、もっとも難しいのは、日本人夫婦をつかまえることだった。次に難しいのは、斡旋業者の本音をきくことだ。記者会見で聞かされるような公式コメントは、本音ではない。その本音をいかに言わせるか、そこが難しい。それには、何回か会って、親しくなることが必要だ。ある程度親しくなり、相手の気が緩んできたときが勝負である。オフレコ(off
the record)という言葉を絶対に出さずに訊く。また相手が言葉に迷っている場合は、こちらが本音と思われる内容を言葉を飾らずにずばり言う。You’re
putting words into my mouth.(人に言うべき言葉を教えこむ、人に言わせる)と言われるときがあるが、それは相手が遠まわしに言う(beat
around the bush, mince
matters)から、ぼくが言い換えてずばり言うだけのことだ。それに対して相手が「その通りだ」(exactly)と言えば、こっちのものだ。ネイティブと言えども、表現力に欠ける人がほとんどである。それを助けるのがジャーナリストの役割だろう。一番いいのは、もちろん相手が自分の言葉で本音をもらすことだが、表現力がない場合は、できるだけ細かい感情の表現まで助ける。その方が詳細に書けるからだ。
複数取材の重要性
代理母斡旋業者も一つだけではなく、複数取材することが重要である。一つだけを取材して一般化することは危険だ。ぼくが斡旋業者について一番知りたかったのは、何を考えてそのビジネスをしているかだった。代理母も、ひょっとして斡旋業者に言いくるめられているかもしれないので、表面的な質問だけでは物足りない。実際に記事に書く、書かないは別としてもジャーナリストは、中心テーマからずれないためにできるだけ多くの情報を持つことは重要である。 代理母で一番気になったのは、やはり中流階級以下であることだった。裕福な人はひとりもいない。少なくとも1万ドルの報酬がもらえるのだが、他人のために何ヶ月も妊娠するわけだから、お金に余裕のある人がやるはずがない。裕福なアメリカ人にはボランティア精神に富んでいる人が多いが、どれほどその精神に富んでいても代理母をやる裕福な人はいないだろう。ぼくが取材した、ある代理母は、「斡旋業者にモノのように扱われている感じがする」と泣きそうな声で言っていたが、その斡旋業者も、何回か会ったあと、ぼくと歩きながらしゃべっているときに、取材と思わなかったのか、あるいは、気を許していたのか、緩んでいたのか(off
guard)、「代理母に必要なのは、good
womb(いい子宮)だけだ。他に何も入らない」と本音をもらした。やっぱり子宮をモノ扱いにしているとしか思えないような発言だった。ぼくは生命を扱うビジネスにとても関心があるのだが、こういう本音を聞いてしまうと、つくづく嫌気がさしてしまう。 代理母、斡旋業者、代理母に反対する団体などの取材はそれほど難しくない。問題はやはり渡米して、代理母を使ってまで子供を持とうとする日本人夫婦をいかにつかまえるか、であった。まず、斡旋業者を取材したときに、日本人夫婦がクライアントの中にいるかどうかたずねるが、取材を断られることは最初から覚悟する。しかし、その日本人夫婦のために代理母をやるアメリカ人を取材するのは、それほど難しくない。代理母も単にお金のためだけにやっているとは思っていないので、罪悪感がないからだ。問題はその代理母が依頼してきた日本人夫婦の個人情報をどれだけ持っているかだ。斡旋業者が漏らすことはないので、代理母から、ある程度の個人情報を聞き出すと、斡旋業者との交渉でこちらが有利になる。脅迫にならないように交渉することが重要であるが、一線を越えると、脅迫と取られるので、表現に細心の注意を払わなければならない。交渉はすべて録音する。というのも後で訴訟になったときに必要になってくるからだ。
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