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第14回 取材の裏側E 被害者の「知る権利」 原潜えひめ丸・民間人同乗者インタビュー
1回の出来事で、人生が180度変わってしまうことがある。個人的な出来事ではなく、メディアの力の影響もそれに加わると、普通ならそこまで人生を転換しなくていいのに、否応なしに変えざるを得ないことがある。そういうときメディアを批判する人が出てくるが、それは違う。原因はあくまでもその出来事と、その出来事の大きさ、その原因を作った本人にある。もちろん不測の出来事なので、当人を責めるのはきつすぎると言う人もいるが、それも違う。特に人命がかかわっているときは、そう簡単に許されるものではない。いくら謝罪しても法で罰せられても、消えた命は戻ってこないからだ。
えひめ丸事件がそれであった。2001年の2月突然起きた悲劇は、亡くなった学生たちの人生を終わらせただけではなく、当然のことながらえひめ丸に衝突した潜水艦の艦長の人生も変えた。このとき、最も日本国民を腹立たせたのは、艦長の対応の仕方だっただろう。事故が起きたことが自分でも信じられないで、納得が行かず、心から謝罪する気持ちを表すような態度を示すことは一切なかった。典型的なアメリカ人の態度で、しかも彼が雇った弁護士が、これまた日本人からみると最悪の弁護士だった。謝罪しないように指示を出していたのである。アメリカで交通事故を起こしても、謝罪するな(Never say you are sorry.)と言われるが、その典型的な対応がそのまま出た事故であった。謝罪すると裁判に不利になるからである。しかし、えひめ丸事件と交通事故とは性質がまったく違う。あの事件(敢えて、事故ではなく、事件と言わせてもらう)直後、潜水艦で何が起きたのか、それを知るものは、艦長以外では、潜水艦に乗っていたアメリカ人の民間乗客しかいなかった。ハワイにはぼくともう一人の記者二人で取材に飛んだが、毎日の取材で最後に来た取材が、まさにその民間人乗客に、直撃する取材であった。
居留守
乗客の名前は、地元の新聞に出るので、簡単にわかる。それぞれの自宅の住所、電話番号を調べるのもそう難しくない。ぼくの場合は電話番号はunlisted(電話帳に出ていない)でも簡単にわかるからだ。しかし、電話をかけても留守電になって、誰も出ないことも予想できた。つまり、電話で取材の申し込みをすることは不可能であった。後は自宅に行くしかないが、乗客の何人かはテキサス州ヒューストン界隈に住んでいた。一軒ずつ回って、その中で反応があったもの、あるいはこれなら行けそうという家をねらう。自宅に戻っていない人もいた。明らかにメディアから逃げたのである。それもぼくにとっては許せなかった。艦長は裁判に影響するので弁護士から口止めされている理由はわかる(それでもすぐにきちんと説明する義務があったと今でもぼくは思う)が、民間人乗客はメディアの取材に応じる義務があると思った。それを言いたくても、彼らに直接会わなければ、話にならない。
そういう中、きちんと自宅に戻っていた夫婦がいた。家の電気がついていたので、これは行けそうだと思い、レンタカーを家の前につけると電気が消える。まるで自動的にそうなるように設定されているかのように、電気が消えるのだ。彼らはメディアがやってきたと思って、すぐに電気を消すのだろうが、消す瞬間が見えるので明らかに居留守だ。それを数回繰り返して、ドアのベルを鳴らしても一向に出てくる様子はない。ぼくは腹の中が煮えくり返ってきた。いいかげんにしろ、と心の中で叫んだ。きっとアメリカのメディアもこうやって来たのだろう、と思ったが、それはぼくにとっては、浅はかな知恵だった。
「彼らには何が起きたか知る権利がある」
ここでぼくが思いついた方法、電気を消させない方法は、家の前に車を止めないことだ。家の前に車を止めると電気が消えるのだから、家の前に車を止めなければいいだけだ。遠くから電気がついているのを確認して、家の前をそのまま行き過ぎればいい。そして忍者のように音を立てないで、歩いて家に近づけばいいのだ。ぼくがそうする姿を誰かがみれば、その家にまるで侵入しようとしている強盗のように見えただろう。ドアの前に立つまで見つかってはならないからだ。ぼくは忍び足で、ドアに近づき、こそ泥よろしく、ドアの横の窓から家の中を覗いた。まるで何もなかったかのように普通に生活をしているように見える。子供たちは事件のことをまったく知らないのだろう。ぼくは怒りを抑えて、ベルを鳴らした。ここで彼らも電気を消すわけにはいかない。夫婦で出てきた。ぼくが日本人であることは一目でわかったので、日本から来たジャーナリストであると言うまでもなく、取材には応じられない、と言い出した。ぼくは「他の乗客たちと、取材拒否協定でも結んでいるのか」と訊くとまさにその通りであった。話し合った結果、どの取材にも応じないことにしようと決めたというのである。予想通りであった。ぼくは「亡くなった学生たちの家族の気持ちがわからないのか。彼らには何が起きたか知る権利があると思う。そして日本人全体も」と冷静にかつ丁寧に言った。決して「取材に応じる義務がある」とは言わなかった。それは彼らを逆に腹立たせるかもしれないからだ。一回壁を作ると壊すのが大変だ。「知る権利がある」という言葉をぼくが言ったとき、数秒沈黙が続き、「そう思う」と夫婦が同意し、ぼくを家の中に入れてくれた。すると妻が条件を出してきた。「私たちが取材に応じると協定を破ることになる。だから匿名にしてほしい」ぼくは、もちろん実名で記事を出すことに越したことはないが、これには応じざるを得なかった。さらに今度は夫の方が「あなたを信用していないわけではないが、安心して話すために、録音はしないでほしい」という。録音すると当然彼らの声であることがわかるからだ。今まで、取材で録音を断られた場合は何回かあるが、予想がつく場合は会う前に隠し録音の準備をする。今回の場合は、隠し録音の準備もそれ用のレコーダーも用意していなかった。聞きながら書き取るしかない。ニューヨークに住んでいるときに、動物愛護運動の取材をしたことがあった。何人も取材する中で、アメリカ中の大学の動物実験研究所を放火しまくっている、テロリストに取材したとき、録音は禁じられた。フルネームさえ教えられなかった。証拠になるからだ。FBIのwanted list(指名手配リスト)に載っている人物だった。
吐き出させるのが本当のジャーナリストの役割
夫婦はゆっくりとしゃべり始めた。まるで書き取るのに合わせてくれるかのようにゆっくりしゃべってくれた。こんなことなら最初からラップトップ・コンピューターを持ってくればよかったと思ったが、もう遅い。ホテルに戻ってラップトップを取ってくると言えば、その間に気が変わる可能性がある。このまま書き取るしかない。
約1時間ほど話してくれた。手の指が痛くなってきたが、取材に応じてもらっただけましだったので、贅沢な悩みだと自分を説得した。ホテルに戻って、すぐにそれを打ち直して、コンピューターに入れた。まるで英語の聞き取りテストのようだった。こういうとき重要なことは、電子メールのアドレスを必ずきいておくことだ。追加質問はメールでのやりとりでやる約束をしておくことも重要だ。普通は電話で追加質問をすることも多いが、電話には一切出ないというから電子メールでやるしかない。1日に100回以上電話が鳴ると言っていた。その夫婦もほっとしたと思う。なぜなら、いくら取材拒否協定を結んでも、言わないことに罪悪感を感じているはずであるからだ。それを吐き出させるのが、本当のジャーナリストの役割だと思いながら、帰国の帰途についた。
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| >>週刊ポスト掲載のえひめ丸・民間人同乗者インタビュー記事 |
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