 |
|

第15回 テレビ取材と雑誌取材
テレビの取材は今まで何回かあるが、取材である限り、雑誌の取材と基本的に変わらない。取材先の特定、自宅住所、電話番号の特定、取材申し込み、説得など、取材にこぎつけるまではまったく同じだ。しかし、違いはいくつかある。まず、雑誌の取材は基本的に、撮影も含めてぼくが一人で動くが、テレビは複数の人間が必要だ。CNNは、ディレクター兼カメラマンとリポーターという二人で動くことも多いが、普通カメラマン、ディレクター、リポーターの最低3人が必要である。ニュース番組用ではなく、ドキュメンタリー用取材の場合は、それに音声担当、コーディネーターがついて5人で動くのが普通である。私がテレビ用に動くときは、自分でコーディネーション(取材申し込み、説得、スケジュール調整など)をするので、コーディネーターは必要ない。
お金のかかるテレビ取材
それだけの人数で動くとなると、まず何といってもかかる経費は雑誌と比べものにならない。撮影用カメラを回すだけで1日に十数万円かかるし、複数で動くので、交通費、ホテル代、食事代もその人数分かかる。ぼくの場合は100%海外取材なので、飛行機代もその人数分かかる。2月29日と3月7日に放送されたサンデープロジェクト用の取材ではカメラはニューヨークから来たが、今までの取材ではすべて日本からの調達だ。ニューヨークに住んでいるときに、NHK-BSの取材に同行したことがあるが、そのときのプロデューサーは、「テレビの取材は1日100万円かかる」と言っていた。ぼくが雑誌では考えられないと驚いた口調で返事をすると「映画はその10倍かかる」と言い返された。
色んなプラス・アルファ要件
次に取材。当たり前の話だが、取材先を訪問してから、実際にインタビューが始まるまで20分はかかる。相手の自宅で取材する場合は、インタビュー場所を決定するために、寝室以外の部屋を見学・吟味することになる。場所が決まれば、ライティングやマイクのセットアップ。背景にコンピューター画面が入る場合は、画面が変わらないように、スクリーン・セーバーをはずす。 実際にインタビューが始まると、後で編集しやすいように、相手が話しているときは首を縦にふってうなづくのはいいが、声を出さないように気をつけなければならない。日本人はとかく声を出してうなづく悪い癖があるので、それは編集するときの苦労を増すだけになる。相手が話し終わるまで待つのである。雑誌の取材の場合は途中で口をはさむことはしょっちゅうだが、テレビは絶対禁物だ。これも大きな違いの一つだろう。 取材が終わっても、いろいろな絵をとるために、さらに30分はたわいもないことを相手としゃべり続ける。相手にもコンピューターに向かってもらったり、立ってしゃべってもらったり、注文は多い。雑誌取材ではあり得ないことだ。こういう映像は、編集の際インタビュー中にはさむこともよくある。
もちろん楽な点もある
さらに雑誌取材との違いは気が抜けるときだ。雑誌用の取材は、インタビューが終わっても気を抜くことはできない。テープ起こし(締め切りまで時間があるときは、人に頼むが、ないときは自分でやるしかない)、それから原稿執筆だ。原稿執筆は、別の意味で情報整理になるし、文章を磨かなければならないので、ぼくは好きな部分である。気持ちを別の次元に持っていかねばならないので、それなりに生きがいを感じるときだ。 テレビの場合、ぼくは編集に携わらないので、インタビューがすべて終わった段階で事実上ぼくの役割は終わったことになる。しかし、テレビで取材したものを活字にしてもいいと最初に言われることが多いので、テレビ用の取材が終わっても、気持ちを切り替えて、新たなる緊張を覚えなければならないときもあるのだ。
映像の力は・・・
サンデープロジェクトの取材の場合で言うと、5人インタビューして、インタビュー時間は、全部で4時間分くらいあったと思う。それを他の映像も編集の段階で挿入して、全部で15分くらいに編集する。放送日まで1週間しかないとなると、徹夜の編集が続くときく。必要な他の映像の入手も大変だろう。活字の場合は、そういう苦労は一切ない。音楽効果の必要性も活字にはないが、ちょっとした音楽を入れることで、視聴者に与える心理的な影響は、かなりあると思う。 テレビの場合、実際に使われるインタビュー部分は、ほんの少しで、ほとんどの部分が捨てられることになるので、その欲求不満を埋めるには、やはり活字にするのがいいだろう。まさに一石二鳥だ。 テレビの影響力で、いつも不思議に思うのは、圧倒的に情報量が多い活字よりもはるかに影響力があるということだ。映像の力は恐ろしい。
|
|
|
|
|
 |