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第16回 取材の裏側F 信頼を築き上げて実現させた服部君射殺事件・ピアーズ被告独占インタビューのケース
週刊誌・特集の取材は、そのほとんどが、依頼を受けてから締め切りまで時間が短い。ぼくの場合は99%海外取材なので、最悪は一晩しかないときもしょっちゅうだ。普通は2、3日あるが、それでも一晩相手に連絡がつかないとなると焦燥感に襲われる。また、大事件が起きて、それについて記事にする場合は、とりあえず現地に飛ぶことになるが、それでも翌週発売の号に何も記事を入れないわけにはいかないので、取材が終わるまでは気が休まることはない。よく「大野さんは世界中に行けていいですね」と言われるが、現地では観光などはまったくやらないし、そういうことに関心もない。ひたすら取材に全身全霊を捧げるのだ。さらに、同じ事件でも、何週間も追求する場合もあれば、1回の記事で済ませる場合もある。
とりあえず現地に飛ぶのはいいが、そこで何から始めるかは、ケース・バイ・ケースだ。直撃した方がいいのか、あるいはしばらく様子を見た方がいいのか、それは行ってから判断することになる。また、その事件について裁判がある場合は、評決直後の被告のインタビューは必ず依頼が来ることがわかっているので、そのための根回しは早めにやっておかねばならない。言わば、被告との信頼関係を長期間かけて築き上げておくのだ。
冷静な視点
その事件が、1992年10月17日にルイジアナ州バトンルージュで起きた服部君射殺事件だ。ハロウィン・パーティの行き先を間違えて、その家の主人に「フリーズ」と叫ばれたにもかかわらず、かなりの勢いで近づいたところを射殺された事件だ。撃ったのは、ロドニー・ピアーズ。日本のメディアはこぞって、撃ったピアーズを非難する論調で報道した。
ぼくはすぐにニューヨークからバトンルージュまで飛んだ。追悼式ではメディアはシャットアウトされたが、ぼくは知らん顔をして、あたかも関係者のようにして入った。もちろん隠しカメラは用意している。こういうとき取材禁止と言われると、普通あきらめるだろうが、ぼくは逆に「やった!」と心の中で叫ぶ。というのも他のメディアと異なるアングルから取材できることは間違いないからだ。
とりあえずもっとも早い締め切りに間に合う取材をしなければならないので、メディアがシャットアウトされた追悼式は絶好のチャンスだった。
容疑者は、メディアを避けるために自宅からすでに消えていた。自宅の前にちょうどパトロールカーがあったので、警察と仲良くなる絶好のチャンスだと思い、話しかけると開口一番「あれは無罪だよ。間違いない。あれで有罪になったらそれはメディアのせいだ」と言う。ぼくはすでにアメリカに住んで14年目になるときで、自分でも一度銃を横っ腹に突きつけられたときがあるが、本能的に両手を挙げて、立ち止まった。微動だにしなかった。あのとき動いていれば撃たれて死んでいたかもしれないし、裁判になっても容疑者は無罪になる可能性が強い。アメリカでの銃を所有する権利は憲法で保障されている。FBIの友人は、オフのときでも常に銃を3丁持っている。胸、お尻、足首のところにつけている。片時も離さない理由を聞くと、銃がなければやられていた車の強盗の話や、他にも銃を所有することで助かった具体例をいくつも挙げる。ぼくにも持つようにすすめたが、日本人のぼくにはどうしても抵抗があったので、断った。しかし、FBIの射撃練習場にはよく連れて行ってもらった。
異文化理解が信頼の鍵
ピアーズは、”Freeze!”と言われても聞かずに、走って近寄ってきた服部君を撃ったが、相手が、まだアメリカに来てまもない日本人高校生であることは彼にはわかりようがなかった。ぼくもこれは無罪になるということが予想できたので、そのことを彼の自宅の前にいたパトロールカーの警官に言うと、「あなたはアメリカのことをよく理解している」と言ってくれた。そして、ピアーズの父親の住所と電話番号を教えてくれたのだ。
裁判が行われ、評決が出るまでは、彼がメディアに話すことはあり得ない。でも評決が出たら、当然のごとくメディアは彼にインタビューを申し込む。殺到することは間違いない。そのときにどうやって説得するか、それは事件直後から父親と弁護士にまめに連絡を取り、根回しをしておくことだった。
父親に挨拶に行き、ぼくは正直に言った。「あなたの息子は無罪になると確信する」信頼されるために言ったのではなく、本当の気持ちを伝えただけだ。父親は「あなたは息子の取った行動が正常であることをよく理解しているめずらしい日本人ジャーナリストだ」と言ったが、あれで有罪になったら、メディアの力がそうさせたと思うしかなかった。陪審制を使うので、人間である陪審員が、100%中立的な気持ちになるはずがない。
”We fully trust Mr.
Ohno.”
弁護士も一切の取材を受け付けなかったが、父親の紹介もあって、ぼくとはずっと連絡を取り合っていた。そのときは記事にする目的ではない。普通はニューヨークから電話で連絡していたが、たまに近くで取材があると、父親の家に寄って、実際に会っていた。
父親は、メディアで信頼できるのは、ぼくだけだと言ってくれた。もうこれで評決直後のインタビューもできると確信していた。焦る気持ちもなかった。予想通り、評決はnot
guilty(有罪ではない)と出され、メディアはピアーズに殺到したが、彼はあっという間にどこかに消えた。ぼくは、裁判は一切取材しないで(新聞記者が取材するので)、評決が出されるのを父親の家の近くで待っていた。
評決が出されて、2,3時間経ったとき、父親に電話して、息子にインタビューさせてくれと頼むと、すぐに父親の家に呼んでくれた。”We
fully trust Mr.
Ohno.”と言ってくれたのである。すっかりぼくに信頼を置いているピアーズは、腹蔵なくしゃべってくれた。
取材によっては、焦らずに時間をかけて信頼関係を築くことがいかに大切か、そのことを痛感させられたケースだった。
〉〉週刊文春(1993年6月17日号)世界初! ピアーズ被告独占インタビュー
「私はなぜ服部君を射殺したか」
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