◆講座情報
◆コラム
第1回 ジャーナリズムは理屈ではない。実践だ。
第2回 ジャーナリストはオールマイティーたれ!
第3回 取材活動に広報やエージェントは使うなかれ!
第4回 取材の裏側@ いかにして私は日本人初のマイケル・ムーア独占インタビューをモノにしたか?(前編)
第5回 取材の裏側@ いかにして私は日本人初のマイケル・ムーア独占インタビューをモノにしたか?(後編)
第6回 取材の裏側A 複数対象取材の難しさ−「代理母」リポートの場合(前編)
第7回 取材の裏側A 複数対象取材の難しさ−「代理母」リポートの場合(後編)
第8回 取材の裏側B アメリカでの日本人対象取材の場合(前編)
第9回 取材の裏側B アメリカでの日本人対象取材の場合(後編)
第10回 取材の裏側C 代理母インタビューの真実
第11回 取材の裏側D 追いつめのプロを追いつめた(前編)
第12回 取材の裏側D 追いつめのプロを追いつめた(後編)
第13回 見え隠れする古賀氏の闇
第14回 取材の裏側E 被害者の「知る権利」 原潜えひめ丸・民間人同乗者インタビュー 
第15回 テレビ取材と雑誌取材
第16回 取材の裏側F 信頼を築き上げて実現させた服部君射殺事件・ピアーズ被告独占インタビューのケース
第17回 報道の自由
第18回 インターネットの威力
第19回 日本人に欠ける危機管理
第20回 大野流英語論
第21回 どうでもいい国・・・
第22回 大野流英語論A
第23回 取材の裏側G ここまでやるのがジャーナリズム − 有森&ガブのケース(前編)
第24回 取材の裏側G ここまでやるのがジャーナリズム − 有森&ガブのケース(後編)
第25回 取材の裏側H 芸能人のお忍び取材
第26回 大野流英語論B キムチとキモチ
第27回 読書と経験
第28回 ジャーナリズムにおける男女の違い
第29回 イチローの本当の評判
第30回 この一年を振り返って




第22回 大野流英語論A

 インターネットの威力は、このコラムの第18回で書いたが、自分のホームページがあるだけで、プラスになることも多い。第20回で書いた英語論の中で、ワシントン・ポスト紙のフランシス・タナベ氏の英語力に触れたが、つい最近本人からのメールで、Very interesting. One fact, though, was wrong. I am still a Japanese citizen. I have never applied for American citizenship.と指摘されたので、この場所を借りて謝りたいと思う。Very interestingというのはぼくの英語論のことであるので、とても嬉しい。日本人で、論文のような英語ではなく、味のある英文が書ける人はまれである。通訳や翻訳が、相当のベテランであっても、味のある英文、つまりそのままアメリカの主流メディアに掲載できるレベルの、味のあるエッセーが書ける人は非常にまれである。しかし、このレベルの英語ができないと本当に英語ができるとは言えないことも確かである。このレベルに達する方法論を書いた本はまだ見たことがない。今まで書かれたものはどれをとってもネイティブ並みになる必要はない、と開き直り論を説いたものばかりである。中にはかなり本質に迫ったもの(斉藤兆史「英語達人塾」など)もあるが、ぼくにはもの足りない。


間違いだらけの日本人英語論

 最近、野口悠紀雄氏が書いた”「超」英語法”を読んだが、半分開き直りで半分劣等感の本であるという印象を受けた。開き直りは、「英語はアナウンサーがしゃべる英語が聞き取れればいい」という彼の発想だ。アナウンサーの英語は相当訓練した“きれいな英語”であって、外国人が日本語を学習するときに「NHKのアナウンサーが話す日本語が聞き取れればそれでいい」というのと同じ。おかしくてたまらない。そんなきれいな日本語を使える人は普通にいないし、言語学習というものは、これでいいと開き直ったらそこですべてが止まることを認識しているのかと首を傾げたくなる。劣等感の部分は、「映画の英語が聞き取れない」と書いているが、同時にこういう日常に使われる英語も聞きとれるようになりたい、というところだ。アメリカ人が笑うところで自分が笑えないと辛い。その辛さを野口氏は知っていながら、しかも本音では一緒に笑いたいと思いながら、「わからなくてもいい」と開き直っているところだ。かわいそうだと思う。書く英語も間違いだらけ、どれほど文法書を読んでもわからない、といっているが、なぜこれほど英語をマスターしていない人がこういう本を書くのか、理解に苦しむ。うっかりその方法を使えば、英語はマスターできません、というのと同じであるからだ。少なくとも取材で通用する英語は野口式学習法では、マスターできないことは確かである。


タイム誌を読めるのが英語マスター?

 第20回のコラムで、もう一人言及するのを忘れた人がいる。Kyoko Moriさんという作家であるが、彼女は神戸生まれで、神戸女学院に行った秀才だ。ディッケンズのような英語の純文学は高校1年のときに普通に読めたというから、脱帽である。そういう純文学からみれば、タイム誌がいかに簡単に読めるかは、アメリカの教養のないおばさんをみればわかる。純文学こそ読まないが、タイム誌は、何の苦労もなく、寝ながら読むものであるからだ。タイム誌の前の東京支局長とはよく飲みに行ったが、タイム誌を読むための辞書まで、売っている話をすると、「そのことは聞いたことがあるが、それは週刊文春を読むための日本語の辞書があるのと同じである」と言っていた。おかしいのである。


大事なのは英語の感覚を身につけること

話をMoriさんに戻すと、彼女は今ハーバード大学でアメリカ人に英文学、作文を教えている。直接お会いしたのは、取材で一度だけであるが、今度こそ間違いなくアメリカ国籍を取得した人である。彼女の英語は、清流を流れるような英語で、なぜこんなに洗練された英語が書けるのか、どうしたらそこまで書けるのか、今度お会いするときにぜひ聞きたいと思っているところである。小説、詩、ノンフィクション、すべてを書く才能の持ち主だ。最終的にこの域まで到達した人、つまりアメリカ人の中でも作家レベルの英文が書ける日本人(少なくとも最初は)は、フランシス・タナベ氏と彼女以外直接は知らない。論文の英語は簡単であり、作家レベルの英語からは程遠い。野口氏は、自分が書く英語は、冠詞などの間違いが多い、いくら文法書を読んでもわからないと言っているが、それは英語の感覚がないからである。文章を直すときに、文法書を読んで直す人はいない。ぼくはニューヨークに住んでいるときに、今世紀最大の作家といわれるトマス・ピンチョン氏に微妙な表現の違いをよく質問したが、何回か音読してからこちらの方がいいと教えてくれる。文法的な理由を聞いても、説明できないというのだ。それは日本人が日本語を直すときでも同じで、同じことが英語でもできないと英語は絶対にマスターできない。ぼくが「マスター」と言っているのは、Francis Tanabe氏やKyoko Moriさんのレベルでの話である。普通のアメリカ人をはるかに超えたレベルである。そこまで到達するには、アメリカ人の作家と同じレベルの英語の感覚が必要であることは言うまでもないが、それが訓練で身につくかどうかは議論の分かれるところだ。一つだけ言えるのは、野口氏の「超」英語法では絶対に無理であることだろう。ぼくが読みたいと思う学習法は、日本人がアメリカ人の作家レベルの英語を書く方法であるが、そういうものが存在しないのは、今まで世の中に出ている英語学習法を書いた人がそういうレベルに達していないことの証拠であろう。英語はいくらできてもできすぎることはないのである。得することはたくさんあるが、損することはまずない。英語ができない方がいい場合は、できないふりをすればいいが、できないのにできるふりをするのは不可能である。

 
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