◆講座情報
◆コラム
第1回〜第30回
第31回 子供の安全を守るメーガン法
第32回 中井貴恵極秘結婚式の場合
第33回 ジャーナリストという仕事
第34回 ジャーナリズムの基本は実名
第35回 生命と死について
第36回 私の危機管理術
第37回 お金で解決できないこと
第38回 自伝の嘘
第39回 雑感
第40回 経験と読書のバランス
第41回 日本の放送メディアの問題点
第42回 インタビューの種類
第43回 ジャーナリストに求められる倫理とは?
第44回 翻訳の功罪
第45回 小学校英語について
第46回 アメリカの道路と日本のそれの違いが示すもの
第47回 父親の箴言 雑草のごとく生きよ
第48回 一流とは
第49回 テレビ取材の難しさ
第50回 英語の難しさと効用
第51回 今年1年を振り返って (英語の威力を改めてみせつけられた1年)
第52回 ユーモアの重要性
第53回 日本のメディアのテーマ




第31回 子供の安全を守るメーガン法 


 最近、日本で子供が殺害される事件が起きるたびに、アメリカでの生活を思い出す。娘はニューヨーク生まれで、3歳からマンハッタンの私立幼稚園に入り、そのまま小学校に入ったが、ぼくは取材でニューヨークを離れているとき以外は、毎朝自分のオフィスからまず10ブロック歩いて自宅に戻り、そこから7ブロック歩いて学校まで娘を送って行った。親以外が送る場合は、誰が送るか事前に知らせていないと許されない。迎えに行くときも同じである。勝手に誰かが迎えに行ったとしても、娘がその人に手渡されることはない。

子供を一人で通学させるのは「犯罪」

毎朝学校に娘を送ると、ほぼ同時に息子を送ってくる、今世紀最高の文豪であるトマス・ピンチョンと閑話を楽しむという副産物があったが、日本のように、一人で通学させると親は即逮捕される。違法である。ちなみに、彼がピンチョン本人であることに気付くまで半年かかったが(それまでは都合がいいことに妻が娘を送っていた)、本当にそうであるとわかってからは、毎朝娘を送るのが楽しみになった。それに閑話と言っても、その日のニューヨーク・タイムズ紙に出た記事について、決まって彼の方から話題を持ち出し、しかもぼくが、ある事件について取材に行く場合は、その前に必ず自分の意見を率直に教えてくれたのでこれほど貴重な時間はなかった。そこで2、30分は話しこんでしまうのが日課になったほどだ。毎日他の人が絶対に受けることができない、知的な刺激を受けるのだからぼくは至福と優越感を覚えたものだった。
さて、親が子供の送迎をすることが義務であるアメリカから日本をみると、小学生を一人で通学させるのは、犯罪になる。子供を危険にさらすことで、虐待になるのである。日本はあれだけ犯罪が起きても、まだ安全はただであると思っているのだろうか。テレビで、あるコメンテーターが、「共稼ぎが多いから、子供を送り迎えするのは大変だと思う」とアホなコメントを言っていたが、それは言い訳であって、子供の命と取り替えられるものは他にあるのだろうかと思ってしまう。アメリカにも共稼ぎが多いが、それと子供の送迎とは関係がない。どうにでも都合がつくはずだ。

「水と安全はただ」幻想は捨てろ

日本人は、もう水と安全はただであるという考え方を捨てた方がいい。ぼくは取材で世界中に行くが、日本に戻ってくるたびに、日本人の「平和ぼけ」がまだ治らないのは、遺伝性なのではないかと思うほど、教訓を得ない国民だと思う。ペルーやインドでの取材でひどい下痢をしたことがあるが、そのときほど「水」について考えさせられるときはなかった。
「安全」についても同じだ。子供の安全は親が守るしかない。最近奈良で起きた幼児殺害事件で、ようやく犯人が捕まったが、小林容疑者は案の定前にも同じような犯罪を冒している。性犯罪は母親の愛情をたっぷり受けてまともに育っていれば、起ることはまずないだろう。その点、他の犯罪と違って、非常に根が深く、治らない病気であると思った方がいい。容疑者の人生をみても、普通でないことが多い。子供のときに、どちらかの親が亡くなる運命にあるのなら、母親が残った方が子供の精神面の成長にはいいとよく言われるが、運命は過酷である。

メーガン法とは

性犯罪者に関しては、アメリカでは「出所後も性犯罪者の名前、住所を公開する」という、有名なメーガン法がある。ちなみにメーガン法であって、ミーガン法ではない。ミーガン法と新聞や雑誌に出てくるたびに、記者はきちんと直接取材していないことがばれる。ぼくは7歳で殺されたメーガン・カンカの母親と何回も話しているが、間違いなくメーガンである。名前は取材の最初に発音を確認するのを習慣にしているが、Meganという綴りから判断すると、ミーガンになってしまうので、ミーガンと書かれているのを見るたびに、直接取材していないことがばれるのである。名前は綴りどおりにならないことが多いので、必ず発音を確認する必要がある。直接確認するのが一番であることは言うまでもない。これだけでも直接取材することがどれほど重要であるかわかるだろう。ちょっとしたことで怠惰はばれるものだ。

そのメーガン法は、当時大統領だったクリントンが1996年5月17日にサインして連邦法になったが、子供の安全と性犯罪者のプライバシーを天秤にかけた場合どちらか重要であるかという、根本的な問題である。性犯罪者は再犯の確率が非常に高いことはよく知られた事実だ。つまり、刑を終えて出所した後に、また同じような犯罪を繰り返す確率が高いので、犯罪者の名前、住所を公開することで、近くに住んでいる人に警戒させて、子供を再犯から守るというものである。日本は、加害者のプライバシーを守る方が子供の安全よりも重要であるとしている、異常な国と思われている。知人のアメリカ人のジャーナリストにこれだけは説明できない。なぜ日本がここまで加害者を守るのかとよく聞かれるが、答えようがないのである。神戸の児童殺害事件もそうである。性犯罪ではないにしても自分の家の近くに住んでいるかもしれないと考えるだけでぞっとする。メディアは、偶然にせよもし彼の居場所をつきとめた暁には、公開する道義上の義務があると思う。社会的制裁は、刑よりも強い抑止力になると思うからだ。本当に二度と起きてはいけないと思うのなら、社会的制裁はかなり効き目があるのではないか。よく犯人が刑を終えた後で「一生かけて償う」と言うが、人を殺して「償う」ことはできない。死人が戻ってくることはないからだ。

それにもし出所後に同じような犯罪を冒したら、誰が責任を取れるというのか。その点を議論しないで、社会に放すのだから、やはり無責任という他ない。例えば、再犯が生じた場合、最終的に「この人は一般社会でやっていける」と判定した人も一緒に同じように刑罰を受けるというのなら、まだ理解できるが、そうでない限り、責任の所在が明らかでないので、やはり日本にもメーガン法を取り入れるべきだ。そうすることで、責任はかなり分散されるし、親も近くに、犯罪者が住んでいることを知っていれば、警戒の度がかなり上がると思う。とにかく、子供の安全は国、地域と一丸となって守られなければならないのである。



 
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