◆講座情報
◆コラム
第1回〜第30回
第31回 子供の安全を守るメーガン法
第32回 中井貴恵極秘結婚式の場合
第33回 ジャーナリストという仕事
第34回 ジャーナリズムの基本は実名
第35回 生命と死について
第36回 私の危機管理術
第37回 お金で解決できないこと
第38回 自伝の嘘
第39回 雑感
第40回 経験と読書のバランス
第41回 日本の放送メディアの問題点
第42回 インタビューの種類
第43回 ジャーナリストに求められる倫理とは?
第44回 翻訳の功罪
第45回 小学校英語について
第46回 アメリカの道路と日本のそれの違いが示すもの
第47回 父親の箴言 雑草のごとく生きよ
第48回 一流とは
第49回 テレビ取材の難しさ
第50回 英語の難しさと効用
第51回 今年1年を振り返って (英語の威力を改めてみせつけられた1年)
第52回 ユーモアの重要性
第53回 日本のメディアのテーマ




第45回 小学校英語について



このところ、「小学校英語」が話題になり、賛否両論は無論、侃々諤々の議論が巻き起こっている。まるで、竜巻でも起こったかのような勢いだ。当分この論争は収まりそうにない。反対派は、主に英語を職業的に使っているプロの人に多いが、共通している意見は、「まず日本語をしっかりやることが重要」だと言う。この意見に反対することは難しいが、英語圏の高校を卒業してきた帰国子女に8年間英語を教えてきた経験から言うと、中には日本語を後からやって、きちんとバイリンガルになっている生徒もいることは確かである。つまり英語を先にやって、少し遅れて母語である日本語をやってもきちんとバイリンガルになっている例も多い。ただこの場合は英語圏で教育を受けているという、特殊な環境である。


脳と言語の関係

脳科学の面から言うと、「日本人が、英語のように、パラメーターがまったく違う言語を習得しようとするのだから、時間がかかるのは当然である。脳が日本語に特化されていればいるほど、第二言語習得には時間がかかる」と酒井邦嘉氏(東京大学大学院総合文化研究所助教授、『言語の脳科学』はお薦めの本)は言う。さらに「言語習得とは、生得的にもっている言語の原理に基づきながら、母語に合わせてパラメーターを固定していく過程」だという。母親が日本人、父親がアメリカ人の場合、その子供は脳が柔軟なうちから日本語と英語の言語環境にさらされるので、自然とバイリンガルになる。ぼくが教えた生徒の中に、父親がフランス人、母親が日本人でパリでずっと生活し、アメリカン・スクールに行っていた生徒がいたが、見事なトライリンガルで、どの言語をきいても、母語に聞こえた。生徒の中には、日本の大学の在学中に訓練を受けて、立派な同時通訳者になっているものもいる。ぼくの場合はアメリカに18年間生活する前は、日本で英語を学習したが、率直に言うと、日本語が未熟のまま、英語をやって、何回も行き詰まり、日本語と英語を平行して勉強するしかなかった。振り返ってみると、これも学習法の一つだとつくづく思うのである。脳が日本語に特化される前に英語をやって、日本語と英語を平行してやるのも一つの方法であり、多くの専門家が言うように、まず「母語をしっかり」しなくても、平行してやればどちらも客観的にみることができるので、言語学習の醍醐味を味わうことができるのではないだろうか。日本語を英語からみながら学習するのもおもしろいのである。


「話す脳」と「書く脳」

「小学校英語」について、最近読んだ本でもっともバランスの取れた本は『危うし!小学校英語』(鳥飼玖美子著)である。これはみなさんにお薦めしたい本だ。中に書かれているすべてのことに賛成するわけではないが、少なくとも日本で英語をマスターしたい人にはためになる。結局国際結婚の子供であるというような特殊な環境でない限り、どちらも母語であるように話せるようにはほとんどならないだろうが、今の日本の環境で、小学校から英語を採り入れることが無意味であることもよく理解できるだろう。

さらにおもしろいのは、話すときに使う脳の部位と、書くときに使う部位がまったく違うことである。べらべら話せても書くと、幼稚な英語しか書けない人がいるとは、よく言われることだが、「書く」ということは特別な訓練が必要であるということだ。話すことは人間の本能であるが、書くことはそうではないということである。「そもそも人間には複数の言語を身につける能力が備わっている。子供のときにいろいろな言語に自然に接することができる環境があれば、それに越したことはない」(酒井氏)のである。


文法学習は必要か?

私のアメリカ人の知人の子供が通っている学校は、午前中は英語での授業、午後はスペイン語での授業だが、子供は何の抵抗もなく、マスターしているという。週に一度程度、2,3時間やっても意味がないことは当たり前であるが、それでもこういう学校外教育に無駄遣いしている親が多いことも確かである。どうしてもかなり確実にバイリンガルにしたいのなら、ある一定の年齢まで英語圏の学校に行かせ、ある年齢に達すると帰国するのがベストである。そのまま英語圏にいると、どうしても日本語が遅れるからである。これは親次第だろう。実際、ぼくが教えた生徒の中に、子供だけを英語圏に入れて、バイリンガルになった生徒を何人もみている。人格形成の議論はここでやらない。あくまでも言語習得の点からだけの話である。ぼくはそこまでする勇気はないが、自分の娘(在米7年)をみていると、今は日本語がかなり強くなったが、それほど文法(日本で教える文法)を知らないのに、普通に英語を読んでいるらしい。同じ学年で文法がほぼ完璧にできる生徒は、英語の本をすらすら読めないし、さらっと内容把握もできないようである。こういうのをみると、日本的な文法をやることの意味を疑ってしまう。ぼく自身は文法の重要性を痛感しているが、それはネイティブからみた文法ということで、日本で教える文法ではない。また、脳科学の話になるが、文法を司る脳の部位はわかっているから、ある言語を話すときに、その部位をできるだけ使わないで、ネイティブに近い会話ができるようになればなるほど、その言語をマスターしていることになる。母語を話すときに、文法のことは考えないからである。


提案:科学と医学の授業を英語でやる

今の日本では不可能であることはわかっているが、一つ提案を出しておく。それは科学(理科)と医学の授業を英語でやることだ。科学の世界の共通語が英語であり、世界中のかなりの医学部は英語で授業をしている。英語が共通語であるからだ。論文も英語で書かねばならないし、科学と英語は切っても切り離せない関係にある。いくら日本語で発表しても、世界には認められない。同じ発見をした場合、英語で先に発表した方が認められる。ぼくは医学教育を英語で受けたが、そのときに思ったのは、英語のまま脳に入れて、いちいち日本語で覚える必要はない、ということだ。日本語で書くときに辞書を引けばいいだけだ。日本でも医師は単語は英語で当然覚えているから、やはり英語で科学教育、医学教育をするのがいいと思う。ただ、日本でそれを実行するとなると、やはり教える教師がいない。だからこれはa pie in the skyなのである。