◆講座情報
◆コラム
第1回〜第30回
第31回 子供の安全を守るメーガン法
第32回 中井貴恵極秘結婚式の場合
第33回 ジャーナリストという仕事
第34回 ジャーナリズムの基本は実名
第35回 生命と死について
第36回 私の危機管理術
第37回 お金で解決できないこと
第38回 自伝の嘘
第39回 雑感
第40回 経験と読書のバランス
第41回 日本の放送メディアの問題点
第42回 インタビューの種類
第43回 ジャーナリストに求められる倫理とは?
第44回 翻訳の功罪
第45回 小学校英語について
第46回 アメリカの道路と日本のそれの違いが示すもの
第47回 父親の箴言 雑草のごとく生きよ
第48回 一流とは
第49回 テレビ取材の難しさ
第50回 英語の難しさと効用
第51回 今年1年を振り返って (英語の威力を改めてみせつけられた1年)
第52回 ユーモアの重要性
第53回 日本のメディアのテーマ




第46回 アメリカの道路と日本のそれの違いが示すもの



何年か前、家族で北海道旅行したときのことである。北海道は広大で、景色もアメリカの郊外と似ている、と人から聞いていたが、レンタカーで約1800キロ走ってみたものの、アメリカとの差は歴然としていた。景色は確かに、アメリカの郊外、田舎と似ているが、道路の出来具合がまるで違うのだ。アメリカの道路を自分の運転で少しでも走れば、気づくと思うが、それは事故が起きる前提で作られていることがわかるだろう。例えば、運転中睡魔に襲われて、自分の意思に関係なく車線変更してしまったり、センターラインから少しでもずれたりすると、境界線上に作られたぎざぎざの音で瞬間に目が覚めるようにできている。ぼく自身も10時間以上運転したことが何回もあるが、必ずと言っていいほど睡魔に襲われる。そういうときに、このぎざぎざとその横にある、ゆったりとしたスペースに何回助けられたことか。北海道にはこのスペースがない。あれほど土地があるのに、なぜこのスペースを作らないのか、不思議でならなかった。このスペースは生死を分けるスペースだ。だから北海道で運転すると、少しの過ちも許されない。事故が起きると正面衝突になるか、転落するか、重傷か死がそこに待ち構えている。アメリカは少々の過ちでは死なないようにできているのだ。これも危機管理意識の差か。日本人が無双の、危機管理意識の低さを持っていることはここにも現われている。他にも、アメリカの高速道路で、車線が二またに分かれるときに、必ず、砂が詰められた、大きな円柱型のコンテイナーが数個置いてあるのも、生死の分かれ目になる。


冷たい日本社会

考えてみると、これはアメリカ社会と日本社会の違いに通じるものがある。アメリカ社会は日本社会と比べると、人生のやり直しがきく社会だ。ベンチャー企業にしても、一回目で成功する人はほとんどいないから、失敗するたびに借金に追いまくられていたら、なかなか次のチャンスをつかめない。アメリカは、ベンチャーに資金を出す人が納得をして、お金を出すので、失敗しても返さなくてもいい。次のチャンスが来れば、また資金を出す人が出てくる。もちろん納得の行く計画を示さないといけないが、これは当然のことである。しかも、何回か失敗した人の方が教訓を得ているので、資金を出してもらえる可能性が高くなる。日本もかなりアメリカに近づいたと言われているが、社会全体の構造が失敗した人に対して、残酷にできている。社会も銀行もそういう人に対して、頗る冷たい。話を少し広げると、その冷たさは日常生活でもところどころに見受けられる。電車の優先席の前に妊婦が立っていても、席を譲る人がほとんどいない。アメリカでは考えられないことだ。小柄な母親が、重そうに赤ちゃんが入ったべビーカーを持って、階段を上り下りしていても、誰も手伝いそうにない。この前、さっと手伝ったら驚かれたが、ぼくは驚かれたことに驚かされたほどだ。アメリカではごく当たり前のことで、どんなに人相の悪い人でも近くにいればすぐに助けてくれる。社会全体のバリアフリーの度合いも、日本はアメリカにかなり遅れているが、こうみると、日本社会は冷たいと思われても仕方ないだろう。電車でも寝るふりをして、女性や老人に席を譲らないサラリーマンをみると、本当にむかついてくる。日本人は品格を失った上に、思いやり心も失ったのだろうか。これには親の家庭教育が大いに関係しているのではないだろうか。


事故は起きるという前提

日米の道路の違いに話を戻すと、「アメリカは広いから」と単純に片付けてしまう人がいるが、それは違うと思う。広くなくても、事故が起きたときに、できるだけ死なずに済む方法はいくらでもある。アメリカでは、郊外や田舎に行くと、高速道路の中央分離帯に芝生がゆったりと敷き詰められている光景をよく見るが(この芝生にも随分助けられた)、都会に近づくとそれがなくなることは、よくあることだ。それでもその分離帯の構造をみると、ハンドル操作を少々間違って、ぶつかりそうになっても、分離帯の下半分がカーブになっているために、うまくタイヤが乗って、元の道路に戻るように設計されている。これに気づいたのは、自分が経験したからであるが、日本であれば、重傷を負う事故になっていただろう。とにかくアメリカは事故が起きるという前提で設計され、事故が起きたときにできるだけ助かるようにできていることに気づくのだ。それに比べると、東京の首都高速は最悪である。あれも3車線にして、一車線を緊急用に開けているだけで、全然違う。事故が起きたときでもすぐに救急車が行けるし、事故が起きそうになったときでも逃げる余裕があるからだ。


まずは家庭教育から

日本に自殺が多いのも、日本人特有のうつ病の遺伝子のせいにする人もいるが、やはり社会が“負け組”に対して、冷たいからであると思う。“勝ち組”と言えどもいつ負け組になるかわからないほど不安定であるので、傲慢になることはないと思うが、勝ち組から“転落した”人に対しては、さらに冷たいのではないか。人と違うことをやることは、人生を満喫する点からみると非常に重要だと思うが、日本ではそういう教育をしない。英語をやる必要のない人までも、英語に悩まされること自体おかしいと思う。ぼくはアメリカでも教育を受けたが、医学部に入っても、すぐに論文批判をみんなの前でやらされたほどだ。日本では考えられない。ゼロから考える教育、critical thinking(批判的思考法)、人と同じことをしない教育、ボランティア精神、失敗を歓迎し、そこから教訓を得て、成功に導くことを教える社会、そういうアメリカ社会の長所を日本人も学んだらいいと思うが、表面的なことを変えてもそう簡単には日本社会は変わらない。知人の、外国人ジャーナリストが異口同音に言うのは、「日本社会は自力で変える力がない。常に外からの力がないと変わらない社会だ」ということだ。思いやりのある社会をどうやって実現するのか、それはまず家庭教育から始まるのである。その次に学校での教育だ。


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