ぼくの父は本当にヘビースモーカーで、「タバコをやめるくらいなら死んだ方がましだ」と口癖のように言っていた。その父が61歳で、肺ガンと診断され、半年後に腺ガンで亡くなった。もう20年も前のことである。ちょうどアメリカの医学部に行っていたので、未承認薬を藁をもつかむ気持ちで、東奔西走して大学教授やその知人から集めたのを覚えている。担当医に頼んで、投与してもらった。61歳まで生きたのが不思議だと思うくらい、肺は真っ黒だったという。肺ガンで亡くなった人の、肺を絞って真っ黒な液体が出てくるのを見るとほとんどの人は即禁煙になると言われる。どうしても禁煙ができない人は肺ガン患者の死体解剖に立ち会って、その肺を絞ってみたらいい。
父は戦争に行った。戦地で天然痘にかかり、目が覚めて周囲を見ると、自分以外はみんな死んでいた、と父は言っていた。父に持ち金すべてを託した看護婦が乗った船は撃沈されて、亡くなったと言っていた。よく戦争の話はしてくれた。自分が戦地に行った気持ちになるほどだ。でもぼくは子供に戦争の話はできない。なぜなら戦争に実際に行ったことがないから、実感がないからだ。よく戦争の話を語り継ぐべきだという人がいるが、経験のないこと、戦地で人を何人も殺した経験がないことを、まるで経験したかのように言うことには、罪悪感がある。経験は語り継がれなくても、感情は語り継がれるから恐ろしい。以前、帰国子女に英語を教えているときに、必ず聞くことがあった。アメリカの高校で、原爆の話が出たことがあるかどうかだ。「日本にもう一度原爆を落とす気があるか」と授業でアンケートをとると、ほとんどのアメリカ人の生徒が、「ある」と答えるという。それは反日感情だけが語り継がれているからだと思う。
戦争の話は確かによく聞かされたが、その父が年に一,二度ポツンと口にする文句があった。
1.人ができることをしても人生はつまらない。人ができることはするな。
2.英語はやっておけ。生死にかかわるときに英語で助かることがある。一生食っていける。(英語の恩師もぼくにそう繰り返していた)日本を一歩出たら、日本語は通じない。
3.雑草のごとく生きよ。
どれも箴言であると思う。最近、異常なまでに「いじめ問題」が取り上げられているが、どの時代にも、どの世界にも、大人になっても、「いじめ」はなくならない。時代に関係なく、場所に関係なく、犯罪は起きるのと同じだ。犯罪のない世界は気味悪い。詐欺師も有史以来存在するから、騙されないように気をつける。脳が活発になっていい。騙されることは犯罪ではないから、騙されても捕まらないが、やはり騙される方にも落ち度がある。詐欺師の存在は最初からわかっているからだ。
親のやるべきこと
昔ぼくがいたクラスで、教師も一緒になっていじめていたことがあったが、その生徒は自殺など考えずに、“雑草のごとく”生きていた。ぼくはいじめに加わったこともあるし、いじめられたこともある。大人になってからのいじめは、子供のときのそれよりも陰険だ。そういうときは反応しないことが最善の策である。
自分の子供がいじめられると、いじめが起きた学校を訴える親がいるが、その前にやるべきことがある。子供のしつけだ。「雑草のごとく生きる」ことを小さい頃から叩き込むことだ。世の中はそれほど甘くないことを叩き込む。みんなから好かれる人はいないことを教える。犯罪のない世界がないように、いじめのない世界もないことを教える。
痴漢がなくなることはないから、痴漢にできるだけあわないようにするにはどうしたらいいか、娘に教える。すりもなくなることはないから、できるだけあわないようにするにはどうしたらいいか、親は子供に教える責任がある。人気のないトンネルで殺された事件があったが、そこを通ること自体がすでに危険を冒している。犯罪がなくなることはないから、できるだけ遭遇しないように考える。ニューヨークに住んでいるときに、昔mugger(路上強盗)であった人がインタビューされている番組があった。「相手を選んでいる。隙がある人はすぐにわかる」と言っていたのを覚えている。だから隙がある人にならない、つまり狙われにくくすればいい。
アメリカでは夜9時以降にガソリンスタンドに行くと、現金が使えないところが多い。クレジットカードかATMカードでしか、ガソリンを入れられないようになっている。強盗はそれを知っているから、夜中にガソリンスタンドに強盗に入らない。強盗がなくなることはない。予防策の点で日米を比べると、日本は比較にならないほど遅れている。日本は平和だとよく言われるが、実際はそうではない。アメリカと同じことが日本でも起きているのだ。書店一つとっても、アメリカでは万引きして店を出ようとすると、サイレンがなるようにできている。衣料もそうだ。
自分を強くすること
いじめも同じことだ。なくなることはない。だから予防策を考える。それでも自分を気に入らない人は出てくる。それが世の中だ。そういうことを子供に教えるのが親の責任だ。どの学校に転校してもいじめられる子供がいるが、そういう親に限って、自分の子は何も悪くない、いじめる方が悪いと思い込んでいる。自分に自信があれば、人をいじめて楽しむことはしない。だから、相手をそう思えばいいのだ。そうして自分は精神的に強くなっていくのだ。
雑草は上からコンクリートを敷かれても、それを割って出てくる。少々のことではへこまないように精神力をつける。いじめのない世界をどうしたら築くことができるか、を考えるよりも、その方が重要だ。そういう精神力がなければ、どの世界に行っても参ってしまう。校長に文句を言ったり、転校したりして済まされる問題ではない。いじめをした張本人をつかまえて、するなと言っても根本的な解決にはならない。自分が強くなる方が最優先されるべきだ。親も子供に自信をつけさせるような教育をし、そうするといじめをする側にはならないし、逆にいじめられても超然とした態度に出ることができるのである。
雑草のごとく生きよ、父親はいつもぼくにそう言っていた。