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このエッセーは映画「ヴェロニカ・ゲリン」の劇場パンフに掲載されているものです。



ジャーナリストという職業ほど、訓練しにくいものはないのではないか。人から教えられる部分もあるが、ほとんどの場合一人で取材するので、状況が刻々と変わる中で、即時の判断が成否を決める場合もある。医師や弁護士のように国家試験があるわけではなく、誰でも自称ジャーナリストと言えばなれるわけだから、いいかげんな職名とも言える。しかし、これほど要求される能力に幅が必要である仕事はそうあるものではない。資格試験がない分、ごまかしがきかない職業とも言える。

ぼくは昔からこの職業を選ぼうと思っていたのではない。ただ、自分が書いたものが「活字になる」ことにすこぶる関心があったことは確かだ。中学のときは新聞部に入り、絶えずカメラを片手に取材に行き、学校新聞の記事を書いていた。3年になると編集長として、新聞全体の編集責任も課せられた。きちんとしたタブロイド版の新聞で、もちろんゲラチェック、校了もある。

東京外語大(英米語科)に行っているときも、日英両語でよくエッセーを書いていた。投稿記事もほぼ100%掲載されたが、タイム誌に英語で投稿したレターが掲載されたときは一人悦に入って、「やった!」と心の中で叫んだものだ。そして、留学した直後から、今でもときどきぼくのインタビューが出る English Journal という月刊誌に毎月写真付で「留学便り」を発表していた。コーネル大学では化学を専攻したが、写真のコースも同時に履修し、カメラ、フォトジャーナリズムについて学ぶ機会を与えられた。結局、アメリカの医学部を2年で中退することになるが、今から思えば「あなたはジャーナリズムに行くしかない」という神の声に従っただけのような気がする。いわゆる天職である。医学部を中退するのはもったいないという人もいたが、ぼくはそうは思わない。ジャーナリストという天職を見つけたのだから、これほど幸せなことはないのである。ヴェロニカ・ゲリンの死後、ダブリンで彼女の周囲の人たちに取材をしていたときも、ジャーナリストが彼女にとって天職であったことをぼくは強く感じたものだ。

幸運なことに、ぼくは20年前の初仕事から署名記事を書かせてもらった。普通は出版社や新聞社勤務からフリーになるケースが圧倒的に多いが、ぼくの場合は留学生からジャーナリストになったという異例な道(のはずし方?)だった。しかし、今まで勉強したことで、この仕事に役に立たないことは何一つない。すべて有効活用である。一見迂回した人生を送っているようだが、実はそうではない。この仕事を通じてできた人脈も普通なら出来ないものばかりだ。

さらに、ジャーナリストはすべての分野をこなすことができなければならないというのがぼくの考えだ。プロのピアニストはどんな曲でも弾くことができなければならないのと同じだ。その上で好きな曲、得意な曲があるわけだ。ジャーナリストも然り。アメリカの純文学作家にインタビューした数日後にアメリカで最も注目されている、ハーバード大学医学部の教授にガンの最新治療法についてインタビューすることもある。インタビュー相手の最新の著書は必ず読む。相手はこちらがどれだけホームワークをしているか、を必ずみるからだ。取材後の関係を維持しようと思えば、ホームワークは欠かせない。

しかしながら、すべての分野をカバーするとは言え、もちろん好きな分野はある。ぼくの場合は、医学と社会の接点になるテーマ、例えば「死ぬ権利」「生殖補助技術」「遺伝子診断」などである。それを専門的に理解するには、医学的な基礎知識は欠かせない。そういう知識は一朝一夕にして身につくものではない。そしてその前提として、英語は、読み、書き、話す、すべての点でネイティブ相手に遜色なく対応できるだけの能力が必要であること言うまでもない。通訳付の取材には、所詮限界があるのだ。

そして、ジャーナリズムの真髄である、ぼくの好きな調査報道。ヴェロニカ・ゲリンが射殺されるまで果敢に挑んだ分野だ。調査報道が出来ない、あるいはやらない人はジャーナリストと言うべきではない。当然危険も伴う。脅迫されるときもある。想像力も要求される。知恵も先見の明も必要だ。ぼくも、宗教関係の取材中に、ロサンゼルスで命を狙われたときもあった。そういう脅迫にも屈することなく、調査報道をするエネルギー源は、強い「正義感」であろう。一定の線を越えた「不正行為」「不条理」がどうしても許せない精神だ。この精神がなければ、ジャーナリストになるべきではない。

さらに異常なまでの好奇心、体力は言うまでもなく、鋭い嗅覚も必要だろう。英語で言う、"have a nose" だ。普通の人が臭いと思わなくても、何か「臭い」と感じる動物的直感だ。この直感から取材を始めて、大スクープになったときにこそ、ジャーナリストの醍醐味を最高に感じるときなのだ。


 
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